この城について
越前と近江の国境にある戦国末期の山城。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家(しばたかついえ)がこの城を本陣とした。誰が城を築いたかについては、朝倉氏の家臣による国境の砦を柴田方が改修したとする説をはじめ諸説がある。城の名は勝家の家臣・佐久間玄蕃允盛政(さくまげんばのじょうもりまさ)にちなむという。織豊期の山城として遺構が良好に残り、続日本100名城のひとつ。
歴史・由来
玄蕃尾城の歴史を語る鍵は、誰がこの城を築いたのかがはっきりしないことにある。
越前(福井県)と近江(滋賀県)の国境という要衝にあるこの地には、もともと朝倉氏の家臣が守りを固めた砦があったとみられている。天正11年(1583年)、豊臣秀吉と柴田勝家が天下を争った賤ヶ岳の戦いで、勝家はこの城を本陣として布陣した。柴田方がこの砦を大きく改修し、現在に残る堅固な縄張りに仕立てたと考えられている。城の名は、勝家の甥にあたる家臣・佐久間玄蕃允盛政にちなむという。
戦いでは、勝家方の武将たちが秀吉方の隙をついて動いたものの、秀吉軍の急な反撃を受けて総崩れとなった。勝家は本拠の越前北ノ庄(現在の福井市)へ敗走し、まもなく自刃した。この敗北によって玄蕃尾城もほどなく廃城になったとみられる。
以後、山中に取り残されたことで大きな改変を免れ、主郭・馬出・土塁・堀切などの遺構が織豊期の山城として全国でも例のないほど良好に残った。平成11年(1999年)、福井県敦賀市と滋賀県(旧余呉町、現長浜市)にまたがる史跡として、国の史跡に指定された。
見どころ・特徴
【築城の謎】柴田勝家が本陣とした城だが、実際に築いたのが誰かは諸説あり、朝倉氏の家臣による国境の砦を柴田方が改修したとする見方が有力視されている。
【主郭・馬出・土塁】戦国末期の山城として、主郭を中心に馬出(うまだし)や土塁、堀切などの防御施設が織豊期そのままの姿で残る。福井県内でも最も完成度の高い山城のひとつとされる。
【城の名の由来】柴田勝家の甥で家臣の佐久間玄蕃允盛政(さくまげんばのじょうもりまさ)にちなんで名づけられたと伝わる。
【賤ヶ岳古戦場との組み合わせ】滋賀県側の賤ヶ岳古戦場と合わせて訪ねると、この戦いの全体像をつかみやすい。
【御城印】滋賀県長浜市のJR木之本駅構内「ふれあいステーションおかん」で頒布されている(300円)。
学び・特徴
社格
国指定史跡「玄蕃尾城(内中尾山城)跡」(平成11年〔1999年〕7月13日指定、福井県敦賀市・滋賀県にまたがる)。続日本100名城 第140番(2017年選定)。
創建
築城時期・築城者は諸説あり確定していない(朝倉氏家臣による築城説、天正6年〔1578年〕頃に柴田勝家が築いたとする説など)
基本情報
住所
福井県敦賀市刀根
アクセス
北陸自動車道「敦賀」インターチェンジから車で約20分、駐車場から城跡主要部まで徒歩約20分。駐車スペースは5台程度で、譲り合って利用する。公共交通の場合、JR敦賀駅からコミュニティバス「愛発線」で「刀根」下車、駐車場まで徒歩50分、さらに主要部まで徒歩20分。タクシーの場合は敦賀駅から約25分、そこから徒歩約20分。柳ヶ瀬トンネルは高さ制限2メートル80センチのため、大型バスは通行できない。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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