この城について
美浜町佐柿(さがき)の標高約197メートルの山に築かれた戦国時代の山城の跡です。若狭の武田氏の重臣・粟屋勝久(あわやかつひさ)が城主となり、越前の朝倉氏にほぼ毎年攻められながら約10年間守り抜いたことから、「難攻不落」の城として知られます。ふもとには若狭国吉城歴史資料館があり、続日本100名城(139番)に選ばれています。
歴史・由来
国吉城を知る鍵は、小さな山城が大軍を相手に10年も落ちなかった「国吉籠城戦」にあります。
【粟屋勝久の築城】
弘治(こうじ)2年(1556)、若狭国の守護・武田氏の重臣であった粟屋勝久が、古い城の跡を改修して国吉城を築きました。若狭と越前の国境に近い、守りの要となる場所です。
【10年に及ぶ籠城戦】
永禄(えいろく)6年(1563)、越前の朝倉氏の軍勢が攻め込んできました。それから天正(てんしょう)元年(1573)まで、朝倉勢はほぼ毎年のように国吉城に攻めかかりましたが、粟屋勝久らはそのたびに撃退し続けました。この戦いは「国吉籠城戦」と呼ばれています。
【信長の入城】
元亀(げんき)元年(1570)4月、朝倉攻めに向かう織田信長が、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)や徳川家康を伴って国吉城に入りました。のちに天下をとる三人が、そろってこの城に入ったことになります。
【城主の移り変わりと廃城】
天正11年(1583)には豊臣秀吉の家臣・木村定光(きむらさだみつ)が城主となり、石垣を備えた城に改められました。城は江戸時代の初めに使われなくなり、ふもとの佐柿には町奉行所が置かれて、丹後街道の宿場町として栄えました。
見どころ・特徴
【時代の違う石垣】豊臣時代、江戸時代初めの京極氏の時代、そして廃城後と、時代の違う石垣が残っています。見比べながら歩くのも楽しみの一つです。
【郭と堀切】本丸や伝二ノ丸の跡、階段状に連なる郭(くるわ)、尾根を断ち切る北側の堀切(ほりきり)など、山城の遺構をたどれます。
【本丸からの眺め】城主の居館跡から本丸までは約600メートル、歩いて約25分。本丸からは周囲を見渡せます。
【若狭国吉城歴史資料館】ふもとにある資料館で、国吉城と城下町・佐柿の歴史を紹介しています。続日本100名城の登城証明書も発行しています。
学び・特徴
社格
美浜町指定史跡・続日本100名城139番
創建
弘治2年(1556)、粟屋勝久が築城
テーマ
続日本100名城山城石垣戦国
基本情報
住所
福井県三方郡美浜町佐柿25-2
見学時間
若狭国吉城歴史資料館は9時から17時まで(冬期は10時から16時30分まで)。月曜休館。続日本100名城のスタンプは資料館に置かれています。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】JR小浜線「美浜」駅から徒歩約25分。
【車】舞鶴若狭自動車道「若狭美浜IC」から国道27号経由で約10分。見学者用の駐車場があります。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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