この城について
加賀一向一揆(かがいっこういっき)の門徒たちが築いた、白山麓の一向一揆勢力「山内惣庄(やまうちそうしょう)」最後の拠点。天正8年(1580)に織田信長の家臣・柴田勝家(しばたかついえ)に攻め落とされたのち、翌年に一度奪い返されるが、天正10年(1582)に鎮圧され、約100年続いた「百姓の持ちたる国」は終わりを迎えた。国指定史跡で、続日本100名城の一つ。
歴史・由来
鳥越城(とりごえじょう)を理解する鍵は、これが浄土真宗の信者たちが約100年にわたって加賀国を治めた「百姓の持ちたる国」の、最後の砦だったという点にある。
長享2年(1488年)、加賀の浄土真宗本願寺派の門徒たちは一揆を起こして守護大名の富樫政親(とがしまさちか)を倒し、以後、僧侶や武士だけでなく百姓が中心となって国を治めるという、全国でも珍しい体制を100年近く続けた。これが「加賀一向一揆」と呼ばれる。
鳥越城が築かれたのは、この体制の終わりが近づいた天正元年(1573年)頃とされる。越前(今の福井県)まで勢力を伸ばしてきた織田信長との緊張が高まり、白山のふもとの一向一揆勢力「山内惣庄」が、防衛のために築いた山城だった。城を率いたのは鈴木出羽守(すずきでわのかみ)。紀州雑賀(きしゅうさいか、今の和歌山県)で鉄砲隊を率いた鈴木孫一(すずきまごいち)の一族と伝えられ、鉄砲の扱いに優れていたという。
天正8年(1580年)3月、織田信長の家臣・柴田勝家の軍に鳥越城は攻め落とされ、同じ年の11月には討ち取られた19人の首が安土城でさらされた。しかし戦いはこれで終わらず、翌天正9年(1581年)2月には白山麓の門徒たちが再び蜂起して城を奪い返している。この奪還も佐久間盛政(さくまもりまさ)によってすぐに鎮圧され、最終的に天正10年(1582年)3月、捕らえられた一揆衆数百人が処刑され、加賀一向一揆は完全に姿を消した。約100年続いた「百姓の持ちたる国」は、この鳥越城の攻防をもって幕を閉じたことになる。
見どころ・特徴
【続日本100名城の山城】標高312メートルの鳥越山(とりごえやま)山頂に築かれた山城で、続日本100名城の136番に選ばれている。本丸を中心に二の丸・三の丸が空堀(からぼり)や腰曲輪(こしぐるわ)でつながる、連郭式(れんかくしき)と呼ばれる縄張りの遺構が今も残る。
【本丸跡からの眺め】本丸跡に立つと、手取川(てどりがわ)の渓谷と白山連峰を一望できる。なぜこの場所に砦が築かれたのか、地形を体で感じながら実感できる城跡である。
【鳥越一向一揆歴史館】山麓にある鳥越一向一揆歴史館では、加賀一向一揆と鳥越城の歴史を出土品や資料とあわせて学べる。御城印(ごじょういん)も複数の種類が用意されており、こちらで購入できる。
学び・特徴
社格
国指定史跡「鳥越城跡 附 二曲城跡」(昭和60年〈1985年〉9月3日指定)|続日本100名城 136番
創建
天正元年(1573)頃
テーマ
続日本100名城山城一向一揆
基本情報
住所
石川県白山市三坂町
見学時間
入城自由(無料)。ただし冬季の積雪時や災害の影響で、登城できない期間がある。訪ねる前に白山市の公式サイトで最新の状況を確認しておくと安心。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
車の場合、白山ICから国道157号線を南へ約50分。無料駐車場(約10台分)があるが、大型・中型バスは通行できない。
公共交通機関の場合、JR小松駅から加賀バス「麦口線」に乗り「三坂」バス停で下車し、そこから徒歩約40分。北陸鉄道「鶴来(つるぎ)」駅からもバス便はあるが、いずれの経路も駅から城跡までまとまった距離を歩くことになる。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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