この城について
富山県砺波市、和田川の右岸に広がる戦国時代の山城の跡。魚津市の松倉城、高岡市の守山城とともに「越中三大山城(えっちゅうさんだいやまじろ)」と呼ばれてきました。城の範囲は南北およそ1.4キロメートル、東西0.9キロメートルという広大なもの。いちばん高い櫓台(やぐらだい)でも標高124メートルと高い山ではありませんが、深い谷と長大な堀切(ほりきり)に守られた要害でした。上杉謙信は「元来嶮難(けんなん)の地」と書き残しており、三度にわたって攻め込んだと伝えられます。平成21年(2009)に国の史跡、平成29年(2017)に続日本100名城の135番に選ばれました。
歴史・由来
増山城の歴史をたどる鍵は、「この城を誰が持つかが、越中(えっちゅう、いまの富山県)の主(あるじ)を決めた」という点にあります。
この城が史料に最初にあらわれるのは、南北朝時代の貞治二年(1363)。『二宮円阿軍忠状(にのみやえんあぐんちゅうじょう)』という文書に「和田城」の名で登場します。はじめは桃井直常(もものいただつね)方の勢力が守っていましたが、のちに幕府軍に攻め落とされたとみられます。
戦国時代に入ると、越中の守護(しゅご)だった畠山氏に代わって、守護代の神保(じんぼう)氏が力をのばしました。永禄三年(1560)、上杉謙信に富山城を攻め落とされた神保長職(じんぼうながもと)は、この増山城に立てこもります。そのときの謙信の書状には「増山之事、元来嶮難之地」——増山はもともとけわしい土地で、相当の兵によって手堅く守られている——とあり、攻めあぐねたようすがうかがえます。
永禄五年(1562)に長職が上杉氏に降ると、増山城は神保氏の本拠となりました。しかし神保家の反上杉派が一向一揆(いっこういっき)と手を結んで抵抗したため、天正四年(1576)、ついに謙信に攻め落とされます。天正六年(1578)の御館(おたて)の乱では、上杉景勝(かげかつ)方の吉江宗信(よしえむねのぶ)がこの城を守りました。
天正九年(1581)には織田軍の攻撃で落城。以後は佐々成政(さっさなりまさ)が重臣や馬廻(うままわり)衆を入れて守ります。城の造りがもっとも大きく整えられたのも、この時期と考えられています。天正十三年(1585)に豊臣秀吉が越中へ攻め込むと城は前田氏のものとなり、中川光重(なかがわみつしげ)、ついで山崎長鏡が城代を務めました。そして元和元年(1615)の一国一城令によって、城はその役目を終えます。
昭和五十一年(1976)に城跡公園として整備され、平成九年(1997)から十五年(2003)にかけては砺波市教育委員会が測量と発掘調査を行いました。土のなかからは陶磁器や釘、銭貨、木製品が次々に見つかり、和田川をはさんだ対岸の城下町跡からも、16世紀末から17世紀の遺構と遺物が豊富に出土しています。
見どころ・特徴
【二ノ丸(主郭)】名前は「二ノ丸」ですが、実際にはこの城の本丸にあたります。近世の絵図で城下町に近い順に一ノ丸・二ノ丸と呼んだためにこの名が残りました。長大な堀切にぐるりと囲まれ、城のなかでもっとも厳重に守られた曲輪(くるわ)です。
【城内でただひとつの石垣】二ノ丸の虎口(こぐち、出入り口)の下に、城跡で唯一の石垣跡が残ります。「鏡石(かがみいし)」とも呼ばれ、石材は城の地盤である青井谷泥岩とみられます。ほかの石は、ふもとの増山集落へ下ろされたと伝わります。
【籏台石(はただいいし/神水鉢)】二ノ丸の平坦面の中央にある、円い窪みの穿(うが)たれた石。窪みには常に水がたまり、日照りのときも枯れないといいます。この石を塔の心礎(しんそ)とみて、ここに仏教の施設があったとする説もあります。
【鐘楼堂(櫓台)】二ノ丸の東端にある台状の高まりで、城跡でいちばん高いところ(標高124メートル)です。
【長大な堀切】長さ300メートルにもおよぶ堀切が、二重に配されています。空堀(からぼり)も城内に計画的に配置され、敵の進入を阻みました。
【一ノ丸】北・東・西の三方は高く険しい切岸(きりぎし)と竪堀(たてぼり)に守られ、南側だけ切岸が低く、坂虎口(さかこぐち)が開いています。
【三ノ丸(オオヤシキ)】安室屋敷の東にある曲輪。周囲を空堀と切岸に囲まれ、虎口は馬洗池に面した西側にあります。
【又兵衛清水】二ノ丸の真下にある湧き水。城主の家臣・山名又兵衛が見つけたと伝わり、城中の飲み水に使われたと考えられています。「とやま名水百選」にも選ばれています。
【池ノ平等屋敷】神保夫人が身を投げたと伝わる井戸(池)があることから、この名がついた曲輪です。
【増山城郭群】北には亀山城と孫次山砦、南には赤坂山屋敷と団子地山屋敷があり、これらをまとめて「増山城郭群」と呼びます。佐々成政の時代には、城郭群すべてが一体となって整備されたと考えられています。
【解説ボランティアのガイド】「増山城解説ボランティア 曲輪の会」が、有料のガイドを行っています。1時間コースと2時間コースがあり、見落としがちな遺構まで案内してもらえます。
年中行事・お祭り
【増山城戦国祭り】例年秋
国の史跡に指定されたことを記念して、平成21年(2009)に始まった催しです。平成30年(2018)に第10回を迎えました。平成23年(2011)からは「増山城戦国釣り大会」も同時に行われています。
開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。近年の開催状況は砺波市または砺波市観光協会の案内でご確認ください。
※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。
学び・特徴
社格
国の史跡(平成21年〈2009〉7月23日指定)。続日本100名城の135番(平成29年〈2017〉4月6日選定)。連郭式(れんかくしき)の山城で、魚津市の松倉城、高岡市の守山城とともに「越中三大山城」と称されます。全国山城サミットの加盟城郭。
創建
築城の年ははっきりしていません。南北朝時代の貞治二年(1363)、『二宮円阿軍忠状』に「和田城」として史料にあらわれるのが初見です。元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となりました。
テーマ
続日本100名城山城戦国国史跡
基本情報
住所
富山県砺波市増山
見学時間
城跡は自由に見学でき、入山料はかかりません。
登城口にある休憩施設「増山陣屋」の開館は午前8時30分から午後5時まで。冬期(12月26日から3月14日まで)は閉鎖されます。
続日本100名城のスタンプと御城印は、砺波市埋蔵文化財センターにあります(月曜日、第3日曜日、国民の祝日は休館)。「とやま城郭カード」は、道の駅砺波、砺波駅観光案内所、埋蔵文化財センター、せんだんのHILL の4か所で受け取れます。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【車】JR城端線の砺波駅から約15分。北陸自動車道の小杉インターチェンジからは約20分。
【バス】JR砺波駅から加越能バスが利用できます。
【駐車場】増山陣屋の駐車場と、和田川ダムの駐車場があります。増山陣屋にはトイレの付いた休憩施設が併設されています。
【登城口】冠木門(かぶきもん)の登山口から入ります。冠木門から二ノ丸(本丸)まで、往復しておよそ30分です。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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