この城について
嵐山町の丘の上に残る戦国時代の山城の跡です。石垣や天守はなく、土を掘ったり盛ったりして造った堀と土塁(どるい)だけの城ですが、敵を横から攻撃できるよう工夫された複雑なつくりが今もよく残り、「築城の教科書」とも呼ばれます。国の史跡で、続日本100名城(119番)にも選ばれています。
歴史・由来
杉山城を知る鍵は、「誰がいつ造った城なのか」をめぐる謎と、それを解き明かした発掘調査です。
【北条の城と思われていた】
杉山城は、戦国時代に関東を支配した北条氏(ほうじょうし)の城だと長く考えられてきました。ただし、それを裏づける確かな史料はありませんでした。
【発掘調査で分かったこと】
平成14年(2002)から行われた発掘調査で、この城がごく短い期間だけ使われ、その後使われなくなったことが分かってきました。文献の記録とあわせると、1520年頃の「杉山の陣(すぎやまのじん)」のころの城と考えられています。当時の関東では、関東管領(かんとうかんれい)の山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)と、同じ一族の扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)が激しく争っていました。杉山城は、この争いの中で山内上杉氏が築いた城とみられています。
【国の史跡に】
平成20年(2008)、菅谷館(すがややかた)跡などとともに「比企城館跡群(ひきじょうかんあとぐん)」の一つとして国の史跡に指定されました。平成29年(2017)には続日本100名城に選ばれています。
見どころ・特徴
【約10の郭(くるわ)】約14万平方メートルの丘に、本郭(ほんぐるわ)を中心に約10の区画が階段状に並びます。地形の高低差を生かした配置を歩いて体感できます。
【横矢(よこや)と折歪(おりひずみ)】堀や土塁をわざと折り曲げ、攻めてくる敵を横から攻撃できるようにした仕掛けです。まっすぐ進ませない工夫が城のあちこちに見られます。
【横堀・土橋・虎口】城を取り囲む横堀(よこぼり)、堀を渡る土橋(どばし)、出入口の虎口(こぐち)など、土の城ならではの遺構がよく残っています。石で囲まれた井戸の跡もあります。
学び・特徴
社格
国指定史跡(比企城館跡群)・続日本100名城119番
創建
1520年頃(杉山の陣のころ)、山内上杉氏が築いたとみられる
テーマ
続日本100名城国史跡山城戦国
基本情報
住所
埼玉県比企郡嵐山町杉山614
見学時間
続日本100名城のスタンプは嵐山町役場の玄関ホールに置かれています(8時30分から17時15分まで、土日祝日も設置)。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【電車】東武東上線「武蔵嵐山」駅から徒歩約40分。
【車】関越自動車道「嵐山小川IC」から約2.6キロ。玉ノ岡中学校の北側に無料駐車場があります。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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