TabiShiri
城続日本100名城(116番)。沼田市指定史跡(昭和51年指定)。 沼田市

沼田城

ぬまたじょう

別名:倉内城、蔵内城、沼田公園

この城について
群馬県沼田市にある城の跡で、いまは沼田公園になっています。16世紀の前半に地元の沼田氏が築き、のちに真田信之(さなだのぶゆき)が初代城主となって、五層の天守をもつ城に整えました。天和2年(1682)に幕府の命で完全に取り壊され、いまは石垣や堀の一部、復元された鐘楼などが残っています。続日本100名城の116番です。

歴史・由来

【この城を知る鍵は「争奪の舞台から、真田氏の城下町へ」】 沼田城は、天文元年(1532)ごろ、地元の豪族・沼田氏の沼田顕泰(ぬまたあきやす)が築いたとされます。当時は倉内城(蔵内城)とも呼ばれました。その後は上杉氏、北条氏、武田氏などが奪い合い、天正8年(1580)に武田方の真田昌幸(さなだまさゆき)が攻め取りました。 天正17年(1589)には豊臣秀吉の裁定で北条氏の持ち物となりますが、翌年の小田原征伐のあと、昌幸の長男・信幸(のちの信之)が沼田領2万7千石の初代城主になりました。信之は、徳川家康の養女・小松姫(こまつひめ)を妻に迎え、二の丸・三の丸や堀などを整えて、近世の城に作り変えます。五層の天守は、慶長2年(1597)ごろに完成したと伝えられます(慶長12年とする説もあります)。 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、信之は東軍につき、父の昌幸と弟の信繁(のぶしげ、幸村)とは敵味方に分かれました。元和2年(1616)に信之が上田へ移ると、長男の信吉(のぶよし)が城主を継ぎ、元和8年(1622)に信之は松代へ移りました。その後、真田氏は熊之助、信政、信利(のぶとし)と続き、約1世紀にわたって沼田を治めます。 天和元年(1681)、5代の信利が幕府に領地を取り上げられると、天和2年(1682)に城は完全に取り壊され、堀も埋められました。天守は再建されていません。その後、元禄16年(1703)に本多氏が入り、三の丸に屋形(やかた)を建てました。続く黒田氏2代のあと、寛保2年(1742)に土岐氏が入り、12代で明治維新を迎えます。明治になると屋形も取り壊されました。 大正5年(1916)に城跡が買い取られて公園として整備され、大正15年(1926)に沼田町へ寄付されて、現在の沼田公園になりました。

見どころ・特徴

【公園に残る城の面影】 本丸跡には、西櫓台(にしやぐらだい)の石垣と本丸堀の一部が残っています。復元された鐘楼もあります。 【五層の天守があった城】 真田氏の時代に五層の天守が建てられました。取り壊しののち再建されなかったため、いまは天守の姿を見ることはできませんが、石垣の上から当時の城の大きさを思い浮かべられます。 【城の鐘】 寛永11年(1634)に、2代城主の真田信吉が鋳造させた城鐘が現存しています。歴史資料館で展示されています。 【旧生方家住宅】 二の丸跡に移築された、江戸時代の商家です。国の重要文化財に指定されています。 【眺めと桜】 公園からは谷川連峰などの山々が見わたせます。樹齢400年ほどといわれるエドヒガン(桜の一種)の古木もあります。 【小松姫ゆかりの寺】 小松姫は本多忠勝(ほんだただかつ)の娘で、家康の養女として信之に嫁ぎました。亡くなったあと、遺骨は分けられ、沼田の正覚寺(しょうがくじ)などに葬られたと、市の資料に記されています。 【訪ねかた】 公園内に沼田市の観光案内所があり、ガイドの案内を申し込めます。予約が優先されるため、事前に問い合わせておくと安心です。
学び・特徴
指定・選定
続日本100名城(116番)。沼田市指定史跡(昭和51年指定)。
築城
天文元年(1532)ごろ、地元の豪族・沼田氏の沼田顕泰(ぬまたあきやす)が築いたとされる。
基本情報
住所
群馬県沼田市西倉内町594
アクセス
JR上越線「沼田駅」から徒歩約15分。 車の場合は、関越自動車道「沼田IC」から約3キロ(約7分)。無料の駐車場があります(正面に53台、東側に25台)。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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