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城 大沼郡会津美里町

向羽黒山城

むかいはぐろやまじょう

福島県・大沼郡会津美里町の城「向羽黒山城」

Qwert1234 at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

この城について
会津盆地の南の端、阿賀川(あががわ)を見下ろす岩崎山(がんざきやま)に築かれた、東北でも最大級の戦国時代の山城。戦国大名・蘆名盛氏(あしなもりうじ)が8年もの歳月をかけて築き、永禄11年(1568)に完成したとされる。城域は東西約1.4キロ、南北約1.5キロ、面積およそ50ヘクタール。 山ひとつがまるごと城になっている。蘆名氏が滅んだあとも、伊達政宗(だてまさむね)、蒲生氏郷(がもううじさと)、上杉景勝(うえすぎかげかつ)といった名だたる武将が、いざというときに立てこもる「詰の城(つめのしろ)」として手を入れ続けた。 とくに上杉景勝は、徳川家康との決戦に備えて大改修を行っている。慶長6年(1601)に廃城となって以降は手つかずで、戦国の山城の造りがそっくり残された。平成13年(2001)に国の史跡に指定され、平成29年(2017)には続日本100名城の111番に選ばれた。建物は何もないが、堀と土塁と曲輪(くるわ)の連なりを歩いて味わう城である。

歴史・由来

この城を理解する鍵は、「会津を取った者が、次々にここへ手を入れた」という点にある。ふつう城は一人の大名のものだが、この城は主が代わるたびに増築され、最後の姿は戦国が終わる直前の技術でできている。 始まりは蘆名盛氏(あしなもりうじ)である。蘆名氏は会津を代表する戦国大名で、盛氏はその最盛期を築いた当主だった。彼はふだんの居城である黒川城(くろかわじょう、のちの鶴ヶ城)から阿賀川をはさんだ向かいの山、岩崎山に、巨大な城を築きはじめる。会津美里町の資料によれば、この築城には8年もの歳月がかかった。完成したのは永禄11年(1568)とされる。 なぜそんなものが必要だったのか。黒川城は平地の城で、政治や経済には便利だが守りには弱い。そこで、いざ攻め込まれたときに立てこもる「詰の城(つめのしろ)」として、川向こうの山を丸ごと要塞にしたのである。城域は東西約1.4キロ、南北約1.5キロ、面積にしておよそ50ヘクタール。東北でも最大級の規模になった。 だが蘆名氏の時代は長くは続かなかった。天正17年(1589)、摺上原(すりあげはら)の戦いで伊達政宗に敗れ、蘆名氏は会津を失う。政宗はこの城の価値を見抜いて手を入れた。翌年、豊臣秀吉の命令で政宗が会津を去ると、今度は蒲生氏郷(がもううじさと)が会津に入り、やはりこの城を使った。 いちばん大きく手を入れたのは上杉景勝(うえすぎかげかつ)である。慶長3年(1598)、上杉氏は会津120万石の大大名として越後から移ってきた。そして徳川家康との関係が悪化すると、慶長3年から翌年にかけて、籠城戦を想定した大規模な改修を行う。関ヶ原の合戦の直前、天下分け目の戦いに備えて造り替えられた山城——それが今われわれが歩く向羽黒山城の姿である。 しかし結局、この城で大きな戦いは起こらなかった。関ヶ原で西軍が敗れ、上杉氏は米沢へ移される。慶長6年(1601)、向羽黒山城は廃城となった。 この「戦わずに役目を終えた」ことが、結果としてこの城を救った。近世の城に建て替えられることも、街になることもなく、山に築かれた堀や土塁がそのまま残されたのである。曲輪(くるわ=平らにならした区画)を区切る空堀、斜面を縦に走る竪堀(たてぼり)、出入口をわざと折り曲げた虎口(こぐち)。教科書に載っている山城の技術が、実物として全部そろっている。 平成13年(2001)8月7日、国の史跡に指定。平成29年(2017)4月6日、続日本100名城の111番に選ばれた。会津美里町は今も発掘調査と整備を続けており、訪ねるたびに見えるものが増えていく城でもある。

見どころ・特徴

【一曲輪(いちのくるわ)からの眺め】城のいちばん高いところにある主郭。ここから会津盆地が一望でき、阿賀川をはさんだ向こうに鶴ヶ城(若松城)が見える。蘆名盛氏がなぜこの山を選んだのかが、立った瞬間に理解できる。城でいちばんの見どころ。 【二曲輪(にのくるわ)】一曲輪の下に広がる広大な区画。曲輪としての面積が大きく、ここだけでも相当な人数が籠もれたことがわかる。周囲の切岸(きりぎし=斜面を削り落とした防御壁)の鋭さに注目。 【三曲輪・御茶屋場曲輪(おちゃやばくるわ)】山の各所に配された曲輪群。名前のついた曲輪がいくつも連なり、山全体が一つの城として設計されていたことが体感できる。 【空堀と竪堀(たてぼり)】この城の主役。尾根を断ち切る空堀と、斜面を上から下へ縦に掘った竪堀が随所に残る。竪堀は敵が斜面を横に移動するのを防ぐためのもので、山城ならではの工夫である。土が削られただけの遺構なので写真では伝わりにくいが、現地に立つとその深さと規模に驚く。 【虎口(こぐち)】城の出入口。まっすぐ入れないようにわざと折り曲げてあり、攻め込む側が横から攻撃される仕組みになっている。上杉景勝の改修で強化されたと考えられている部分もある。 【伝盛氏屋敷跡(でんもりうじやしきあと)】蘆名盛氏の屋敷があったと伝えられる平場。城の中に領主が暮らした場所があったことを示す。 【九十九折(つづらおり)の登城路】山肌をジグザグに登る道。これも防御のための設計で、歩いていると自然に「攻めにくい」と実感できる。 【向羽黒山城跡整備資料室(向羽黒ギャラリー)】発掘調査の成果と、城全体の立体模型が展示されている。山に登る前に模型を見ておくと、自分がどこを歩いているかがわかって理解が段違いになる。ただし見学は事前予約制なので注意。 【建物は残らない】天守も櫓も門もなく、見るのは地形だけ。ここが合わない人には退屈に映るかもしれない。逆に、堀や土塁を読める人にとっては、これだけの規模で戦国末期の改修まで残っている城は全国でも数えるほどしかない。 【クマに注意】山全体が城域で、自然も豊か。その分クマの出没情報が出ることがあるので、鈴を鳴らすなどの対策をして歩いてください。
年中行事・お祭り
【炎の郷・向羽黒山城跡ふれあい茶会/向羽黒山城まつり】例年5月の最終日曜日 城跡(白鳳山公園)を会場に、野点(のだて)の茶席が複数設けられる。会津本郷焼(あいづほんごうやき)の抹茶碗で、会津盆地を眺めながら一服できるのが名物。直径30cmほどの大きな茶碗を回し飲みする「大茶盛(おおちゃもり)」も行われる。近年は同じ日に「向羽黒山城まつり」が重ねて開催され、武将隊による模擬合戦、山城ガイド散策ウォーク、着物着付け体験などでにぎわう。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

作品ゆかり
会津美里町は、コーエーテクモゲームスの歴史シミュレーション「信長の野望・新生」と向羽黒山城のコラボ企画を行っており、町の公式特設サイト「向羽黒山城跡特設サイト」で歴史解説や攻略動画を公開している。ポイントラリーの景品としてコラボ特別御城印が用意されたこともある。城内の案内アプリ「もりうじ君」も町が提供している。
学び・特徴
社格
国指定史跡(平成13年8月7日指定/文部科学省告示第134号、指定面積505,746.8平方メートル)。続日本100名城 第111番(平成29年4月6日選定)。
創建
永禄4年(1561)着工、永禄11年(1568)完成。築城者は蘆名盛氏。慶長6年(1601)廃城。
テーマ
続日本100名城国史跡山城蘆名氏
基本情報
住所
福島県大沼郡会津美里町船場甲
見学時間
見学自由・無料。城跡は白鳳山公園として常時開放されている。 向羽黒ギャラリー(向羽黒山城跡整備資料室)は開館日が限られ、町のパンフレットでは4月〜12月中旬の土曜・日曜・祝日、午前10時〜午後2時とされている。町公式サイトに年度ごとの開館日カレンダーが掲載されるので、訪問前に必ず確認を。 会津は雪の多い地域で、冬は山内の道や駐車場の状況が変わります。冬期に訪ねる場合は事前に町へお問い合わせください。 問い合わせ:会津美里町教育委員会 生涯学習課 文化係 0242-79-1900(平日8:30〜17:15)/土日祝は会津美里町観光協会 0242-56-4882

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【電車】JR只見線「会津本郷」駅から徒歩約20分(城跡入口まで)。そこから一曲輪までは山道を登る。 【バス】会津バス「会津若松駅前」から約35分、「本郷インフォメーションセンター前」下車、徒歩約15分。 【車】磐越自動車道 新鶴スマートICから約15〜20分、会津若松ICから約20分。 【駐車場】公園内駐車場に普通車11台(大型バスは乗降のみ)。ほかに瀬戸町観光駐車場(普通車40台・大型バス3台)が利用できる。 御城印は本郷インフォメーションセンター(会津美里町字瀬戸町甲3161-1)で販売。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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