この城について
津軽海峡を見下ろす丘の上に築かれた、中世の館(たて)跡。14世紀末から15世紀初頭ごろ、和人が蝦夷地(えぞち)に進出して築いた拠点群「道南十二館(どうなんじゅうにたて)」のひとつで、初代館主は小林太郎左衛門尉良景(こばやしたろうざえもんのじょうよしかげ)と伝わる。長禄元年(1457)、アイヌの首長コシャマインが率いた蜂起「コシャマインの戦い」の舞台となり、焼失した。国指定史跡で、続日本100名城のひとつにも数えられている。
歴史・由来
志苔館を理解する鍵は、この地が中世を通じて、和人とアイヌの緊張と交易が同居する最前線だったという点にある。
14世紀末から15世紀初頭ごろ、津軽海峡を見下ろすこの丘に館を築いたのは、初代館主・小林太郎左衛門尉良景と伝わる。小林氏は、先祖が公家の万里小路藤房(までのこうじふじふさ)に仕えていたと伝わる家柄で、良景の祖父・小林次郎重弘の代に蝦夷地へ渡ったとされる。志苔館は、和人が津軽海峡沿岸に築いた12の拠点「道南十二館」のひとつに数えられ、アイヌとの交易や北方支配の拠点として機能した。
長禄元年(1457)、和人による不当な取引に怒ったアイヌの首長コシャマインが蜂起し、道南十二館のうち志苔館を含む多くの館が攻め落とされた。この「コシャマインの戦い」は、和人とアイヌの間で起きた最初期の大規模な衝突として、北海道の歴史における大きな出来事とされている。史書『新羅之記録(しんらのきろく)』にこの戦いの記録が残る。
その後、志苔館は再建されたとみられるが、永正9年(1512)、再びアイヌとの戦いによって陥落したと伝わる。館主だった小林氏は、その後、蝦夷地を統一していった松前氏(松前藩)に従属し、志苔館は実質的に廃館になったと考えられている。
昭和58年(1983)から昭和60年(1985)にかけて函館市教育委員会が発掘調査を実施し、長方形の館内(面積約4,100平方メートル)から掘立柱建物跡や井戸跡、塀・柵の跡などが見つかり、15世紀前半の陶磁器も出土した。これらの成果から、和人が蝦夷地でどのような暮らしと備えをしていたかが具体的にわかってきている。
志苔館から南西へ約100メートルの地点では、昭和43年(1968)に道路工事中、越前焼・珠洲焼の大甕(おおがめ)3個に納められた大量の古銭が発見された。その数は38万7,514枚にのぼり、主に中国渡来の銅銭だった。「北海道志海苔中世遺構出土銭」として国の重要文化財に指定されており、現在は市立函館博物館に収蔵・展示されている。中世の和人がいかに大量の銭を蓄えていたかを物語る、北海道史でも屈指の出土品である。
見どころ・特徴
【土塁と空堀】
方形に区画された館跡には、土塁(どるい)と空堀(からぼり)の遺構が良好な状態で残っており、中世の館の姿を今に伝える典型例として知られている。
【津軽海峡を望む立地】
丘の上に位置し、津軽海峡を見渡せる眺めのよさも魅力のひとつ。
【志海苔古銭】
志苔館の近くで見つかった約38万7千枚もの古銭(国指定重要文化財)は、市立函館博物館で見ることができる。中世の和人がどれほどの富を蓄えていたかを物語る貴重な資料。
【訪ねかた】
館跡内には専用の駐車場がなく、公共交通機関の利用が基本になる。隣接する公園の駐車場を利用できる場合もあるが、事前に案内を確認しておくと安心。続日本100名城のスタンプは、館跡内のあずまや(休憩所)に設置されている。
学び・特徴
社格
国指定史跡(昭和9年〈1934〉8月9日指定、昭和52年〈1977〉4月27日追加指定)。続日本100名城の101番に選ばれている。
創建
14世紀末から15世紀初頭ごろの築造と推定される。初代館主は小林太郎左衛門尉良景(こばやしたろうざえもんのじょうよしかげ)と伝わる。
テーマ
続日本100名城絶景
基本情報
住所
北海道函館市志海苔町
アクセス
JR函館駅から函館バスで「志海苔」停留所下車、徒歩約5分(約260メートル)。函館空港からもバスを乗り継いで同停留所まで行ける。館跡専用の駐車場はないが、隣接する公園の駐車場が利用できる場合がある。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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