TabiShiri
城 御城印 掛川市

高天神城

たかてんじんじょう

この城について
「高天神を制する者は遠州を制す」と謳われた戦略的要衝。武田勝頼と徳川家康が激戦を繰り広げた、戦国末期の代表的攻城戦の舞台。天正9年(1581)、家康が攻略。続日本100名城#147。

歴史・由来

「高天神を制する者は遠州を制す」と謳われた、戦国末期の戦略的要衝。 標高約132mの鶴翁山に築かれた山城。築城時期は不詳だが、戦国初期から今川氏の支城として機能。永禄11年(1568)、今川氏滅亡後、徳川家康が支配。 天正2年(1574)、武田勝頼が大軍で高天神城を攻略。家康は奪還を狙ったが、武田軍の堅固な守りに阻まれた。 天正9年(1581)、家康は武田方が守る高天神城を完全に包囲した。城を守っていたのは武田方の城将・岡部元信(おかべもとのぶ)。武田勝頼からの援軍は最後まで届かず、城兵は兵糧を断たれて飢えに苦しんだ。追い詰められた岡部元信たちは、3月、城から討って出て徳川方に突撃し、ほぼ全員が討ち死にして高天神城は落城した。「高天神城落城」は、武田勝頼の威信を完全に失墜させ、翌天正10年(1582)の武田氏滅亡の引き金となった、戦国史の重要な転換点となった。 家康はその後、高天神城を廃城。城は山中に埋もれていったが、近年「武田・徳川激戦の地」として注目を集めている。 平成29年(2017)、続日本100名城に選定された。

見どころ・特徴

標高約132mの鶴翁山(かくおうさん)に築かれた山城で、東峰(ひがしみね)を居館空間、西峰(にしみね)を戦闘空間とする「一城別郭(いちじょうべつかく)」という珍しい構造を持つ。三方を断崖絶壁に囲まれた天然の要害で、西の丸の横堀や井戸曲輪(いどぐるわ)周辺には、戦国期の山城らしい険しい遺構が今も残る。 山頂部からは遠州灘(えんしゅうなだ)や遠州平野を一望できる。武田勝頼と徳川家康、両者が同じ景色を見ていたのかと想像しながら歩くのも、この城跡ならではの楽しみ方である。 城内には「武田流」と「徳川流」、両方の築城技術による遺構が混在しており、双方の攻防の跡を一度に見比べられる点も珍しい。 近くには掛川城や、家康が高天神城包囲のために築いた「高天神六砦」ゆかりの地、諏訪原城なども残っており、あわせて訪ねると戦国時代の遠州(えんしゅう)をより深く体感できる。
学び・特徴
社格
昭和31年(1956)に静岡県史跡に指定され、昭和50年(1975)10月16日には国の史跡に指定された。平成29年(2017)には続日本100名城(通番147)に選ばれている。
創建
築城の時期や築城者ははっきりしないが、『高天神記(たかてんじんき)』という書物には、応永23年(1416)に今川了俊(いまがわりょうしゅん)が築いたという記録が残っている(あくまで一つの伝承であり、確証はない)。確実な史料で確認できるのは16世紀初頭で、このころには今川氏の家臣・福島氏(くしまし)が城主を務めていた。
テーマ
続日本100名城
基本情報
住所
静岡県掛川市上土方嶺向3136外
アクセス
【最寄り駅・公共交通】JR東海道本線「掛川」駅北口3番のりばから、掛川大東浜岡線バスで「土方」下車、徒歩約15分。掛川駅南口からタクシーで約20分。 【車】東名高速道路「掛川」インターチェンジから約15分。 【駐車場】南口(追手門側)に約10台、北口(搦め手門側)に約100台の駐車スペースがある。 【スタンプ・御城印】続日本100名城のスタンプは、大東北公民館・掛川観光協会・南部観光案内処に設置されている(年末年始のみ掛川城御殿・掛川市役所本庁舎に臨時設置)。御城印は城跡そのものではなく、掛川市文化会館シオーネの窓口で購入できる。 住所やハイキングコースの詳しい案内は、掛川市の担当部署へお問い合わせください。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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