TabiShiri
城 御城印 島田市

諏訪原城

すわはらじょう

この城について
武田勝頼(たけだかつより)が天正元年(1573)、家臣の馬場信春(ばばのぶはる)に命じて築いたとされる山城。武田流築城術の代表例とされる「丸馬出(まるうまだし)」が良好な状態で残る。天正3年(1575)の長篠の戦いの後、徳川家康が攻略して「牧野城(まきのじょう)」と改め、遠江支配の拠点とした。続日本100名城(146番)。

歴史・由来

諏訪原城を理解する鍵は、この城が武田氏と徳川氏、両方の築城技術が積み重なった城であることだ。 天正元年(1573)、甲斐の武田勝頼は、家臣の馬場信春を普請奉行(ふしんぶぎょう、工事の責任者)に、武田信豊(たけだのぶとよ)を補佐として、東海道沿いの牧之原台地(まきのはらだいち)に城を築かせたと伝わる。信玄の死後、家督を継いだ勝頼が、徳川家康の領国・遠江(とおとうみ)へ進出するための拠点とする狙いがあった。 城の最大の特徴は「丸馬出」と呼ばれる防御施設だ。城の出入り口(虎口・こぐち)の前に、半円形の堀と土塁で囲んだ「馬出」を設け、敵の侵入を防ぐ構造で、武田流築城術の代表例とされる。 天正3年(1575)5月、長篠の戦いで武田軍が織田・徳川の連合軍に大敗すると、7月から家康が諏訪原城を包囲し、1か月あまりの攻防の末、8月に城は徳川方の手に落ちた。家康はこの城を「牧野城」と改め、堀や土塁を大規模に造り替えて拡張し、遠江支配の拠点として使い続けた。 しかし天正18年(1590)、家康が関東へ移封(いほう、領地替え)になると、諏訪原城(牧野城)は役目を終えて廃城になったと伝わる。短い期間ながら、武田・徳川両氏の築城技術が積み重なった城として高く評価され、昭和50年(1975)に国指定史跡、平成14年(2002)に指定範囲が追加され、平成29年(2017)には続日本100名城(146番)に選ばれた。

見どころ・特徴

【丸馬出】半円形の堀と土塁に囲まれた「丸馬出」が、複数の郭(くるわ)にわたって良好な状態で残る。武田流築城術を学べる代表例として、城郭ファンの間でも評価が高い。 【本曲輪・二の曲輪など】本曲輪(ほんくるわ)、二の曲輪、中の曲輪、外曲輪など、複数の曲輪跡が広い範囲に残り、当時の城の規模を体感できる。 【諏訪原城ビジターセンター】平成30年(2018)に開館。城の構造や武田流築城術を模型や展示で学べる。御城印(300円)もここで受け取れる(引換券方式)。 【訪ねかた】桜の名所としても知られ、4月上旬が見ごろ。近くの大井川鐵道や金谷の茶畑と合わせて訪ねる人も多い。
学び・特徴
社格
国指定史跡(昭和50年・1975年指定。平成14年・2002年に指定範囲を追加)。続日本100名城146番。
創建
天正元年(1573)、武田勝頼が家臣の馬場信春に命じて築いたと伝わる。
基本情報
住所
静岡県島田市菊川1174
アクセス
車の場合、東名高速道路「相良牧之原インターチェンジ」から約10分。電車の場合、JR東海道本線「金谷」駅から徒歩約30分。諏訪原城ビジターセンター(10時から16時、月曜休館、無料)に駐車場がある。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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