この城について
丹波の戦国大名・赤井直正(赤井悪右衛門)の本拠。標高約356mの猪ノ口山に築かれた山城。天正7年(1579)、明智光秀の丹波攻めで陥落。「丹波の赤鬼」赤井氏の本拠として戦国史に名を残す。続日本100名城#163。
歴史・由来
丹波の戦国大名・赤井直正(あかいなおまさ、赤井悪右衛門、あかいあくえもん)の本拠。標高約356mの猪ノ口山に築かれた山城。
築城は南北朝期と伝わるが、戦国期に赤井氏が大改修。赤井直正は、戦国の丹波を代表する智将。「丹波の赤鬼(あかおに)」の異名で恐れられ、織田信長の丹波攻めで最大の抵抗を見せた人物。
天正3年(1575)、織田信長の家臣・明智光秀が丹波攻めを開始。光秀は赤井直正の頑強な抵抗に手を焼き、約4年の間、丹波を平定できなかった。
天正6年(1578)3月、赤井直正が病没。後継の養子・赤井忠家が抗戦を続けたが、天正7年(1579)8月、光秀の総攻撃で黒井城は陥落。赤井氏は事実上滅亡し、丹波は光秀の支配下に入った。
光秀は黒井城を、家臣・斎藤利三(さいとうとしみつ、春日局=徳川家光の乳母の父)に与えた。光秀の死後、黒井城は廃城となった。
近代以降、史跡として整備。広大な城域に石垣・堀切・郭跡が良好に残り、戦国山城の見学コースとして城マニアの聖地。
基本情報
住所
兵庫県丹波市春日町黒井
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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