この城について
京都府福知山市にある城で、戦国武将の明智光秀(あけちみつひで)が丹波(たんば)を治める拠点として築きました。昭和61年(1986)に再建された天守閣は、北近畿で唯一の天守とされ、中は郷土資料館として公開されています。石垣には墓石などの転用石(てんようせき)が使われています。続日本100名城の158番です。
歴史・由来
この城を知る鍵は、「光秀が築き、のちの城主たちが受け継いだ城」であることです。
【光秀の築城】
織田信長(おだのぶなが)から丹波の攻略を命じられた光秀は、天正3年(1575)から戦いを進め、丹波を平定しました。そして天正7年(1579)ごろ、福知山の地に城を築きました。築城の年は、天正8年(1580)とする記録もあります。前身は、塩見氏(しおみし)が築いた横山城(よこやまじょう)とされます。光秀はこの地を「福智山」と名づけたと伝わります。光秀が福知山にいたのは3年ほどといわれます。
【城下町づくり】
光秀が城下の基礎づくりに取り組んだと紹介する資料があります。一方、福知山城の公式サイトは、城下町の本格的な建設は秀吉の時代以降と考えられるとしています。
【光秀を慕う声】
光秀は善政をしき、領民に慕われたと伝わります。のちの城主の朽木氏(くつきし)が、光秀をまつる御霊神社(ごりょうじんじゃ)への合祀を許したのが、光秀を祀る始まりとされます。
【城主の移り変わり】
光秀のあとは、明智秀満(あけちひでみつ)、羽柴秀勝(はしばひでかつ)、杉原家次(すぎはらいえつぐ)、小野木氏(おのぎし)、有馬豊氏(ありまとようじ)、岡部長盛(おかべながもり)、稲葉紀通(いなばのりみち)、松平忠房(まつだいらただふさ)と城主が代わりました。寛文9年(1669)に朽木稙昌(くつきたねまさ)が入り、約3万2千石の福知山藩として朽木氏が13代続きました。
【廃城と再建】
明治6年(1873)の廃城令(はいじょうれい)のあと、建物は解体されました。昭和61年(1986)、有馬氏から松平氏の時代の絵図をもとに、鉄筋コンクリートで天守が再建されました。約8,500の個人・団体が参加した「瓦一枚運動」が、再建を支えました。
見どころ・特徴
【天守閣】三層四階の望楼型(ぼうろうがた)の大天守に、続櫓(つづきやぐら)と小天守がつながります。公式サイトは「北近畿唯一の天守」と紹介しています。望楼からは城下の眺めが楽しめます。
【転用石(てんようせき)の石垣】築城当時の面影を残す石垣で、自然石をそのまま積む野面積み(のづらづみ)や乱石積み(らんせきづみ)、穴太積み(あのうづみ)が見られます。五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石仏など、墓石や石仏が石材として使われているのが特徴です。
【豊磐井(とよいわのい)】直径約2.5メートル、深さ約50メートルの井戸で、城の中の井戸としては日本有数の深さです。
【天守内の展示】明智光秀や歴代の城主、福知山の歴史・文化財に関する資料を展示しています。
【御城印(ごじょういん)】受付で300円(税込)で販売されています。
年中行事・お祭り
学び・特徴
指定・選定
続日本100名城(158番)。福知山市の史跡。
築城
天正7年(1579)ごろ、明智光秀が築城。天正8年(1580)とする記録もある。
基本情報
住所
京都府福知山市字内記5
見学時間
天守閣は9時から17時まで(入館は16時30分まで)。12月28日から31日と、1月4日から6日は休館です。臨時休館の場合があります。入館料は大人360円、小中学生110円です。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR福知山駅から徒歩で約15分。駅前から京都交通バスで福知山城公園前まで約5分。無料のゆらのガーデン駐車場(約70台)があります。バスで団体で訪れる場合は、予約が必要です(5台まで)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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