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城 御城印 日南市

飫肥城

おびじょう

この城について
伊東氏の本拠。南北朝時代(14世紀)、土持氏が築城したと伝わり、戦国期に伊東氏が支配した。江戸期は飫肥藩・伊東氏14代の居城で、石高は当初5万7千石、後に5万1千石となった。「九州の小京都」と呼ばれる飫肥の中心。

歴史・由来

伊東氏の本拠。南北朝時代(14世紀)、土持氏が築城したのが始まりと伝わり、戦国期に伊東氏が支配した。 戦国期、日向の有力大名・伊東氏は、薩摩の島津氏と長く対立。元亀3年(1572)、伊東氏は飫肥を巡って島津氏と戦い、敗北を重ねた。 天正5年(1577)、伊東義祐(よしすけ)の代に、島津氏の総攻撃で伊東氏は飫肥を失い、義祐は豊後の大友宗麟を頼って亡命。 天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定で、伊東義祐の孫・伊東祐兵(すけたか)が飫肥に復帰。慶長5年(1600)、江戸幕府(徳川秀忠)から5万7千石の所領安堵の朱印状を受け、以後、明治維新まで伊東氏14代の居城となった。その後、寛永13年(1636)と明暦3年(1657)に相次いで分家へ石高を分与した結果、石高は5万1千石となった。 伊東氏は、戦国末期に追われた領地を、秀吉の力で取り戻した数少ない事例。「島津に追われた伊東が、秀吉の天下で復活」という、戦国末期の地殻変動の象徴。 明治の廃城令で建造物の多くを解体。だが石垣・堀の遺構は良好に残り、城下町とともに「九州の小京都」として親しまれている。 昭和52年(1977)、飫肥地区は九州地区で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。

見どころ・特徴

JR日南線「飫肥」駅から徒歩約15分(車で約5分)。宮崎空港から車で約1時間。 「大手門」(昭和53年/1978復元)は、本格的な木造復元。飫肥城のシンボル。 「松尾の丸」(江戸期の御殿を、平成期に復元)は、近世大名御殿の姿を体感できる、全国でも数少ない復元建築。 「飫肥城歴史資料館」では、伊東氏・飫肥藩の歴史を学べる。 「豫章館(よしょうかん)」「振徳堂(しんとくどう、藩校)」など、伊東家ゆかりの史跡が城下町に点在。 「九州の小京都」と呼ばれる城下町は、武家屋敷・商家・寺院が良好に残り、散策が楽しい。「飫肥天(おびてん)」「厚焼き卵」など、地域の名物グルメも豊富。 桜の名所として、3月下旬から4月上旬の桜まつりは、宮崎県南部の花見スポット。 【御城印】 伊東家の家紋「庵木瓜(いおりもっこう)」と飫肥藩の旗印「九曜紋」をあしらった御城印が、飫肥城観光駐車場のチケット販売所で授与されている(2021年6月から販売開始)。
年中行事・お祭り
【飫肥城下まつり桜まつり】例年3月下旬から4月上旬 飫肥城下町の桜が見頃を迎える時期の催し。宮崎県南部の花見スポットとして親しまれている。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
指定・選定
日本100名城(96番、平成18年/2006年4月6日選定)。飫肥地区は昭和52年(1977)、九州地区で最初の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
築城
南北朝時代(14世紀)、土持氏による築城と伝わる。
テーマ
日本100名城九州の小京都
基本情報
住所
宮崎県日南市飫肥10-1-1
見学時間
飫肥城歴史資料館は無休、9時から17時まで。入館料は一般210円(団体150円)。城下町の由緒施設(豫章館・振徳堂等)をまとめて見学できる共通券もある(大人620円、高校生・大学生470円、小・中学生360円)。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR日南線「飫肥」駅から徒歩約15分(車で約5分)。宮崎空港から車で約1時間。宮崎自動車道「田野IC」から約50分。飫肥城観光駐車場あり。
公式サイト
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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