この城について
別名「臥牛城(がぎゅうじょう)」。標高約325mの天神山に築かれた、九州屈指の山城。文治元年(1185)、緒方惟栄(おがたこれよし)が築城と伝わる。滝廉太郎の名曲「荒城の月」のモデルとなった、文学史的にも有名な城。
歴史・由来
別名「臥牛城(がぎゅうじょう)」。標高約325mの天神山に築かれた、九州屈指の山城。
築城の起源は、文治元年(1185)、源頼朝の家臣・緒方惟栄(おがたこれよし)が築いた砦と伝わる。緒方惟栄は、源義経を慕って奥州落ちに同行した武士。
戦国期、岡城は大友氏の重要拠点として整備された。天正14年(1586)、島津氏の3万の大軍が岡城を攻めたが、城主・志賀親次(しがちかつぐ、当時17歳)はわずか1,000の城兵で約2ヶ月の籠城戦を戦い抜き、撃退した。「親次の岡城籠城戦」は、九州戦国史の中で別格の戦闘として記憶される。
慶長6年(1601)、関ヶ原以後、中川秀成(なかがわひでなり)が7万4千石で入城、以後明治維新まで中川氏12代の居城となった。
明治の廃城令で建造物のすべてを解体、石垣のみが山頂に残された。
明治31年(1898)、岡城出身の作曲家・滝廉太郎が「荒城の月」を作曲。歌詞は土井晩翠の作だが、廉太郎の脳裏には少年時代に遊んだ岡城の廃墟があったとされる。「荒城の月」のモデルとなった城として、文学史的にも有名。
見どころ・特徴
JR豊肥本線「豊後竹田」駅からタクシー、または徒歩約25分。竹田市の中心部に位置する。
「総石垣」の遺構は、九州随一の規模。3段に積み上げられた高石垣は、断崖絶壁の上に築かれた山城の威容を伝える。
「大手門跡」「西の丸跡」「本丸跡」「二の丸跡」など、広大な城域に石垣の遺構が連なる。
本丸跡からは、阿蘇山・久住連山・祖母山まで一望できる絶景。
「滝廉太郎像」が本丸近くに立ち、「荒城の月」の世界を体感できる。
近隣の「滝廉太郎記念館」「武家屋敷通り」と組み合わせて、竹田の文化を堪能できる。
竹田は「九州の小京都」と呼ばれる風情ある城下町で、城跡探訪と組み合わせて一日たっぷり楽しめる。
基本情報
住所
大分県竹田市大字竹田
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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