この城について
別名「白雉城(はくちじょう)」「荷揚城」。慶長2年(1597)、福原直高が築城。豊後の中心・府内(現大分市)に築かれた、海に面した平城。複数の藩主の変遷を経て、明治の廃城令で多くを失った。
歴史・由来
別名「白雉城(はくちじょう)」「荷揚城(にあげじょう)」。慶長2年(1597)、福原直高が築城開始。
府内は、戦国期にキリシタン大名・大友宗麟(おおともそうりん、義鎮)の本拠地として、九州キリシタン文化の中心だった。だが大友氏は耳川の戦い(1578)で島津氏に大敗し、衰退。文禄2年(1593)、大友義統(よしむね、宗麟の子)が改易され、大友氏は事実上消滅した。
築城は、その後の領主の交代の中で段階的に進められた。福原直高、早川長政、竹中重利、日根野吉明と城主が変遷、寛永11年(1634)、松平忠昭が2万2千石で入城、以後明治維新まで松平氏10代の居城となった。
明治の廃城令で多くを失い、太平洋戦争の大分空襲(1945)で残存していた建造物のほぼすべてを焼失。
近代以降、城跡は府内城址として整備。平成8年(1996)、廊下橋が復元、平成12年(2000)、宗門櫓・人質櫓が復元。
見どころ・特徴
JR日豊本線「大分」駅から徒歩約15分。大分市の中心、府内城址公園内に位置する。
「廊下橋」(平成8年/1996復元)は、本丸と山里丸を結ぶ屋根付きの橋。優美な姿が城跡のシンボル。
「宗門櫓」「人質櫓」など、平成期に復元された櫓が立ち並ぶ。
「天守台」は本丸の最高所。天守は寛保3年(1743)の落雷で焼失し、以後再建されなかった。
桜の名所として、3月下旬から4月上旬の桜まつりは、大分市民の年中行事。
近隣の府内町、別府温泉、湯布院温泉と組み合わせて、大分の魅力を堪能できる。
基本情報
住所
大分県大分市荷揚町74
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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