この城について
築城名人・加藤清正の最高傑作。慶長6年(1601)着工、慶長12年(1607)完成。日本三名城の一つ(姫路・大阪と並ぶ)。「武者返し」と呼ばれる独特の高石垣、明治の西南戦争で西郷軍を退けた難攻不落の名城。
歴史・由来
築城名人・加藤清正の最高傑作。慶長6年(1601)着工、慶長12年(1607)完成。日本三名城の一つ(姫路・大阪と並ぶ)。
加藤清正は、豊臣秀吉子飼いの武将で、賤ヶ岳の七本槍の一人。朝鮮出兵での虎退治、関ヶ原での東軍参加、肥後54万石の領主として、戦国末期から近世初期にかけての超一流の武将・大名・築城家。
築城には、清正の朝鮮出兵で得た築城技術が惜しみなく投入された。「武者返し」と呼ばれる、下部はゆるく上部は急角度に反り返る独特の高石垣は、敵が登れない設計。「忍び返し」と呼ばれる、城内の塀や壁面の意匠も、清正の築城術の精華。
最盛期、本丸・二の丸・三の丸を備えた城域は約98万㎡、120を超える櫓を擁する、近世日本最大級の城郭。
慶長16年(1611)、清正が病没した後、子の忠広(ただひろ)が継いだが、寛永9年(1632)、改易。代わって細川忠利(ほそかわただとし)が54万石で入城、以後明治維新まで細川氏12代の居城となった。
明治10年(1877)、西南戦争で西郷隆盛軍が熊本城を約2ヶ月にわたって包囲。城兵わずか3,500の鎮台兵が、西郷軍1万4千の総攻撃をついに撃退。「清正公の遺産が西郷を退けた」と称された、近代日本史上の重要な戦闘。
ただし戦闘の直前、天守が原因不明の火災で全焼。明治の廃城令を生き延びた天守が、原因不明で焼失したのは謎の事件として今も論争が続く。
昭和35年(1960)、鉄筋コンクリートで復興天守が建立。
平成28年(2016)4月、熊本地震で天守・櫓・石垣が甚大な被害。現在、令和3年(2021)に天守の修復が完了、令和の時代を通じて石垣・櫓の修復が進行中。
見どころ・特徴
JR熊本駅から市電「熊本城・市役所前」電停、徒歩約10分。
復興天守は三重六階。白漆喰の優美な姿は、姫路城・大阪城と並ぶ「日本三名城」の名にふさわしい威容。
「武者返し」と呼ばれる、独特の高石垣は熊本城のシンボル。下部はゆるく上部は急角度に反り返る、加藤清正流の築城技術の極致。
「宇土櫓(うとやぐら)」は、加藤清正時代の現存櫓(重要文化財)。実質「第三の天守」と呼ばれる三重五階の壮大な建造物で、熊本城最古の建物。
「本丸御殿」(平成20年/2008復元)の「昭君之間」は、天井絵・襖絵が見事な御殿建築の傑作。
「加藤神社」は、城内に鎮座する加藤清正を祀る神社。清正ファンの参拝が絶えない。
平成28年(2016)の熊本地震では大きな被害を受けたが、令和の時代に復興が進む「現在進行形の城」。修復過程を見学できる「特別見学通路」も整備された。
参拝後は、熊本ラーメン・馬刺し、阿蘇山と組み合わせて、熊本の魅力を堪能できる。
この場所を巡る軸
基本情報
住所
熊本県熊本市中央区本丸1-1
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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