この城について
松倉重政(まつくらしげまさ)が元和4年(1618)から7年あまりかけて築いた城で、別名を森岳城(もりたけじょう)といいます。五層の天守を中心に、三重櫓(さんじゅうやぐら)を3つ備えていました。寛永14年(1637)の島原・天草一揆では一揆勢に攻められましたが、落ちませんでした。いまの天守は昭和39年(1964)に復元されたもので、キリシタン史料館になっています。
歴史・由来
島原城を理解する鍵は、この城の城主の政治が、日本の歴史を動かした島原・天草一揆の舞台になったことです。
【松倉重政の築城】
島原城は、松倉重政が元和4年(1618)に工事を始め、7年あまりをかけて完成させました。五層の天守と3つの三重櫓を備えた、大きな城でした。
【島原・天草一揆】
2代目の松倉勝家(まつくらかついえ)の時代になると、重い負担と圧政、キリシタンへの迫害、飢饉に苦しんだ人々が、寛永14年(1637)に島原・天草一揆を起こしました。一揆勢は島原城の大手門などを攻めましたが、城が堅固だったため落とすことはできませんでした。一揆のあと、松倉氏はその責任を問われて領地を失いました。
【城主の交代と廃城】
その後、島原城は高力(こうりき)氏・松平氏・戸田氏・松平氏と城主が替わり、4氏19代、253年にわたって使われました。明治7年(1874)に廃城となりました。
【復元】
昭和35年(1960)の西櫓(にしやぐら)から順に建物が復元され、昭和39年(1964)には天守が復元されました。
見どころ・特徴
【復元された五層の天守】
昭和39年(1964)に復元された五層の天守です。中はキリシタン史料館になっていて、キリシタン大名の有馬晴信(ありまはるのぶ)のころの島原半島のキリシタン文化や、島原・天草一揆、キリスト教が厳しく取り締まられた時代の資料が展示されています。
【櫓の資料館】
巽櫓(たつみやぐら)は西望記念館、丑寅櫓(うしとらやぐら)は民具資料館として使われています。
学び・特徴
指定・選定
日本100名城
築城
元和4年(1618)、松倉重政が築城に着手。7年あまりで完成
テーマ
日本100名城歴史武将ゆかり
基本情報
住所
長崎県島原市城内1-1183-1
見学時間
9時から17時30分まで(入場は17時まで)。年中無休。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
島原鉄道「島原駅」から徒歩約5分。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
記録を確認中...