この城について
別名「指月城」。慶長9年(1604)、毛利輝元が築城。関ヶ原で大幅減封された毛利氏の新たな本拠として、長州藩36万9千石の中心となった。幕末・明治維新の志士たちを輩出した城下町・萩の核。
歴史・由来
別名「指月城(しづきじょう)」。慶長9年(1604)、毛利輝元(てるもと)が築城。
毛利氏は、関ヶ原(1600)で西軍として戦い、120万石から36万9千石に大幅減封。本拠も広島から萩へと追われた。輝元は新たな本拠として、日本海に面した寒風吹きすさぶ僻地・萩の指月山麓に城を築かざるを得なかった。
築城は慶長9年(1604)に開始、慶長13年(1608)頃に完成。5重5階の天守を擁する本格的な平山城で、城下町も計画的に整備された。
以後、明治維新まで毛利氏13代、長州藩36万9千石の本拠として機能した。
幕末、長州藩は「攘夷」「倒幕」の総本山となり、吉田松陰・高杉晋作・木戸孝允(桂小五郎)・伊藤博文・山県有朋・井上馨・山田顕義など、明治維新の中心となる人物を次々に輩出。「萩」は日本近代化の出発点として、極めて重要な歴史的地位を占めた。
文久3年(1863)、藩主・毛利敬親(たかちか)は本拠を山口に移し、萩城は事実上廃城。明治の廃城令で天守・櫓は解体されたが、石垣・堀の遺構は良好に残る。
平成27年(2015)、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産(萩反射炉などと共に)として、世界文化遺産に登録された。
見どころ・特徴
JR山陰本線「東萩」駅から徒歩約25分、または車で中国自動車道「美祢東JCT」経由「絵堂IC」から約40分。
「萩城跡指月公園」として整備された城域は、本丸・二の丸・三の丸の石垣の遺構が良好に残る。
「天守台」は、本丸の最高所。天守は解体されたが、石垣の遺構の大きさで、当時の威容を実感できる。
「指月山(しづきやま、標高143m)」は、城の背後にそびえる御山。山頂への登山道もあり、萩湾・日本海の絶景を望める。
「萩城下町」(重要伝統的建造物群保存地区)は、武家屋敷・商家・寺院が良好に残る、近世城下町の傑作。世界文化遺産。
「松陰神社」(吉田松陰を祀る)、「松下村塾」、「伊藤博文旧宅」、「木戸孝允旧宅」など、明治維新の志士たちゆかりの史跡が萩市内に集中。
参拝後は、萩焼の工房めぐり、萩のミカン・夏みかんの里、温泉と組み合わせて、近代日本の出発点を堪能できる。
基本情報
住所
山口県萩市堀内
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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