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城 岩国市

岩国城

いわくにじょう

この城について
慶長13年(1608)、毛利氏の家臣・吉川広家が築城。錦川を見下ろす横山に建つ南蛮造の天守。一国一城令でわずか7年で廃城となった悲運の名城。昭和37年(1962)に鉄筋コンクリートで復元。

歴史・由来

慶長13年(1608)、毛利氏の家臣・吉川広家(きっかわひろいえ)が築城。錦川を見下ろす横山(標高約200m)山頂に建つ、瀬戸内海を見下ろす立地の山城。 吉川広家は、毛利元就の次男・元春(もとはる)の子。関ヶ原(1600)で本家・毛利輝元が西軍についた際、広家は東軍の徳川家康と密かに通じ、毛利家の改易を防ぐために尽力した(西軍に属しながら、関ヶ原の戦場では戦闘に参加しなかった)。 その功で、毛利家は周防・長門の2ヶ国を安堵されたが、広家自身は岩国3万石を与えられただけだった。広家にとっては、毛利本家を救った代償が「岩国3万石」という不本意な結果。 築城は急ピッチで進められ、慶長13年(1608)、4重6階の南蛮造(なんばんづくり)の壮麗な天守が完成。だが元和元年(1615)の一国一城令で、わずか7年で廃城となった。広家にとっては二重の悲運。 吉川家は江戸期を通じて岩国を支配。「岩国藩主・吉川家」は「藩」として認められず「岩国領」として扱われ、長州藩支藩としての扱いを受けた。 昭和37年(1962)、鉄筋コンクリートで復興天守が再建。錦帯橋と並ぶ岩国観光の二大シンボルとなった。

見どころ・特徴

JR山陽本線「岩国」駅からバス、または錦帯橋経由でロープウェイ。 ロープウェイで山頂まで約5分。山頂から徒歩約5分で天守へ。 復興天守は四重六階。「南蛮造」と呼ばれる、上階が下階より張り出した独特の意匠で、桃山時代の華麗な様式を伝える。 天守最上階からは、錦川・錦帯橋・岩国市街・瀬戸内海まで一望できる絶景。 「錦帯橋」(きんたいきょう)は、岩国観光のもう一つの定番。日本三名橋の一つで、5連の木造アーチ橋の優美な姿は、世界でも稀有な構造美。岩国城と一体で訪れる。 「吉川史料館」では、吉川家伝来の宝物・古文書を展示。広家の苦悩を物語る史料も。 桜の名所として、4月上旬の桜まつりは、錦帯橋・岩国城を彩る山口県西部の花見スポット。
基本情報
住所
山口県岩国市横山3
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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