TabiShiri
城 鳥取市

鳥取城

とっとりじょう

この城について
別名「久松城」。久松山(標高約263m)に築かれた山城と山麓の平城の複合形態。天正9年(1581)、羽柴秀吉が約200日の兵糧攻めで攻略した「鳥取の渇え殺し」の舞台。

歴史・由来

別名「久松城(きゅうしょうじょう)」。久松山(標高約263m)の山上の「山城」と、山麓の「平城」を組み合わせた複合的な城郭。 築城の起源は天文年間(1532-55)、因幡守護・山名氏の家臣・武田氏による。戦国期、毛利氏・尼子氏・織田氏など中国地方の有力大名が争奪を繰り広げた戦略的要衝。 天正9年(1581)、羽柴秀吉が中国攻めの一環として鳥取城を攻撃。城将は毛利方の吉川経家(きっかわつねいえ)、4千の籠城兵。秀吉は事前に鳥取の米を高値で買い占め、城内に十分な兵糧がない状態を作った上で、徹底的な兵糧攻めを実施。 約200日の籠城の末、城内では飢餓地獄が現出。「人肉を食らう」状況にまで陥り、経家は降伏、自らの切腹と引き換えに城兵の助命を願い出た。「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」と呼ばれる、戦国史上最も凄惨な兵糧攻め。 戦後、宮部継潤(みやべけいじゅん)、池田長吉と城主が変遷し、寛永9年(1632)、池田光仲が32万5千石で入城、以後明治維新まで池田氏12代の居城となった。

見どころ・特徴

JR山陰本線「鳥取」駅から徒歩約25分。 「天球丸」「二の丸」「三の丸」など、山麓部の石垣の遺構は良好に残る。 天球丸の「巻石垣」は、球形に積み上げられた極めて稀有な石垣。崩落した石垣を補強するために幕末に造られたとされ、城郭石垣としては全国唯一の構造。 山上の「久松山本丸跡」までは徒歩約60分の本格登山。山頂からは鳥取砂丘・日本海・大山まで一望できる絶景。 「吉川経家公像」は、城跡公園に立つ慰霊の像。「鳥取の渇え殺し」の悲劇を今に伝える。 近隣の鳥取砂丘、温泉、近代の鳥取の街並みと組み合わせて、山陰の魅力を堪能できる。
基本情報
住所
鳥取県鳥取市東町
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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