この城について
浅野家の居城。慶安元年(1648)、浅野長直が築城開始、寛文元年(1661)完成。元禄14年(1701)、家臣・大石内蔵助が四十七士を率いて「忠臣蔵」の仇討ちに立った、赤穂浪士物語の聖地。
歴史・由来
浅野家の居城。慶安元年(1648)、初代浅野長直が築城開始、寛文元年(1661)、約13年かけて完成した、近世末期の本格的近世城郭。
築城は近藤正純による独特の縄張りで、軍学者・山鹿素行(やまがそこう)が縄張に意見したとも伝わる。海に面した平城で、本丸・二の丸・三の丸が複雑に組み合わさる、近世末期の発達した城郭技術の傑作。
元禄14年(1701)3月14日、5代藩主・浅野長矩(ながのり、内匠頭)が江戸城・松の廊下で吉良義央(よしひさ、上野介)に切りかかり、即日切腹。浅野家は改易され、赤穂城も没収された。
家臣・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)率いる47人の浪士は、翌元禄15年(1702)12月14日、江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入り、吉良義央を討ち取った。「忠臣蔵」として後世に語り継がれる、日本史上最も有名な仇討ち事件。
赤穂浪士47人は翌元禄16年(1703)2月、幕命により切腹。彼らの墓は東京・泉岳寺に並ぶ。
赤穂城は、浅野家改易後、永井家・森家と城主が変わり、明治の廃城令で建造物の多くを失ったが、近世末期の縄張りの遺構は良好に残る。
近代以降、赤穂市は「忠臣蔵の街」として、47士関連の史跡整備を進めている。
見どころ・特徴
JR赤穂線「播州赤穂」駅から徒歩約15分。
「大手門」「大手隅櫓」「本丸門」など、平成期に復元された城郭遺構が次々と整備されている。
「大石神社」は、城内に鎮座する大石内蔵助・47士を祀る神社。境内には「47士石像」が並び、忠臣蔵ファンの聖地。
「赤穂市立歴史博物館」「大石邸長屋門」など、赤穂浪士関連の博物館・史跡が城跡周辺に集中。
毎年12月14日の「赤穂義士祭」は、47士の討ち入りを記念する赤穂最大の年中行事。武者行列が市内を巡行する勇壮な祭礼。
参拝後は、「赤穂の塩」工場見学、瀬戸内の絶景、近隣の姫路城( 既存)と組み合わせて、播磨の魅力を堪能できる。
「忠臣蔵の故郷」として、日本人の精神文化の重要な聖地。
基本情報
住所
兵庫県赤穂市上仮屋1424-1
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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