この城について
歴史・由来
元弘の変(1331-33)で、楠木正成(くすのきまさしげ)がわずか1千の兵で鎌倉幕府軍100万を100日間翻弄した、日本史上屈指の籠城戦の舞台。
楠木正成は、河内の小領主から後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した武将。標高約634mの金剛山の中腹に「千早城」「赤坂城」を築き、ゲリラ戦と奇計を駆使して、圧倒的に優勢な鎌倉幕府軍を翻弄し続けた。
元弘3年(1333)、千早城の籠城戦は約100日続いた。正成は、敵が城に攻め寄せると、丸太・大石・熱湯・糞尿を浴びせかける、藁人形を兵士に見せかけて鉄砲を撃たせる、夜襲を仕掛ける──など、当時としては前例のない奇策を連発した。
幕府軍が千早城に釘付けになっている間に、後醍醐天皇方の戦力が全国で蜂起。新田義貞が鎌倉を攻略、北条高時が自害、鎌倉幕府は事実上滅亡した。「千早城の籠城」は、日本史の流れを変えた決定的な戦闘として、後世にまで影響を与えた。
その後、建武の新政・南北朝の動乱の中で、楠木正成は延元元年(1336)、湊川の戦いで足利尊氏軍に敗れて自害。千早城も廃城となった。
近世以降、正成は「忠臣の鑑」として崇敬され、明治期には「楠公(なんこう)」と尊称された。皇居前広場の「楠木正成像」は、明治33年(1900)の建立。
見どころ・特徴
基本情報
住所
大阪府南河内郡千早赤阪村千早1130
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
記録を確認中...