この城について
豊臣秀吉が天正11年(1583)に築いた天下統一の本拠。「太閤秀吉の城」として、織田信長の安土城を上回る規模を誇った。元和元年(1615)、大坂夏の陣で炎上、徳川幕府が再築。現天守は昭和6年(1931)の鉄筋コンクリート復興。
歴史・由来
豊臣秀吉が天正11年(1583)に築いた天下統一の本拠。
城地は、本願寺の本拠「石山本願寺」が天正8年(1580)に織田信長との和睦で退去した跡地。秀吉はこの聖地に、信長の安土城を上回る規模の城を築くことで、自らの天下を象徴させた。
築城工事には全国の大名が動員され、わずか3年で本丸・天守が完成。天守は5重9階(地下2階含む)、外観に黒漆と金箔を多用した極めて華麗な姿で、「太閤秀吉の城」として全国に名を轟かせた。
秀吉死後の慶長3年(1598)、嫡男・秀頼が継承。慶長19年(1614)〜慶長20年(1615)、徳川家康の大坂冬の陣・夏の陣で、豊臣氏が滅亡。城は炎上し、太閤秀吉の大坂城は終焉を迎えた。
元和元年(1615)、徳川秀忠が新たに「徳川大坂城」を築城開始。秀吉の城の上に盛り土を施し、より高い石垣・天守を建てた。寛永3年(1626)、白い5重5階の徳川大坂城天守が完成。豊臣の黒い天守を「上書き」する形で、徳川の白い天守が大坂に君臨した。
寛文5年(1665)、落雷で天守が焼失。以後、徳川幕府は天守を再建しなかった。明治以降、陸軍施設として利用され、第二次大戦の空襲で多くの建造物を失った。
昭和6年(1931)、大阪市民の寄付で復興天守が建立。鉄筋コンクリート造だが、豊臣・徳川両方の意匠を折衷した独特の姿で、戦前の鉄筋コンクリート建築としては国の重要文化財。
見どころ・特徴
JR大阪環状線「大阪城公園」「森ノ宮」駅、地下鉄「谷町四丁目」「天満橋」駅などからアクセス。
復興天守(昭和6年/1931建立)は8階建て。最上階展望台からは大阪市街・大阪湾まで一望できる。
天守は登録有形文化財でもある、戦前の名建築。中は大阪城歴史博物館で、豊臣秀吉・大坂の陣の歴史を立体的に学べる。
「桜門」「金蔵」「焔硝蔵」など、徳川大坂城の遺構が13棟、国の重要文化財に指定されている。
天守の北側、内堀の石垣には「徳川秀忠が築いた史上最大の鏡石(直径約6m)」がはまる。「巨石を運ぶことが権力の象徴」だった近世の価値観を実物大で体感できる。
「秀吉時代の石垣」が、近年の調査で徳川大坂城の地下から発見されている。「埋め立てられた豊臣の城」の発掘調査が継続中で、令和の時代に新発見が相次ぐ、現代の城郭考古学の最前線。
桜の名所として、3月下旬から4月上旬の桜まつりは、大阪市民の年中行事。
近隣の難波宮跡、大阪歴史博物館、大阪市内の繁華街と組み合わせて、大阪の魅力を堪能できる。
この場所を巡る軸
霊場・巡礼
基本情報
住所
大阪府大阪市中央区大阪城1-1
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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