この城について
歴史・由来
徳川家康が慶長8年(1603)、京都での宿所として築城。家康自身が将軍宣下を受けた京都の聖地。
家康は征夷大将軍の宣下を受けた直後、京都での儀礼の場として二条城を築いた。築城工事の総奉行は板倉勝重。本丸・二の丸・天守を備えた本格的な城郭で、徳川幕府の京都における政治的な拠点として機能した。
慶長16年(1611)、家康は二条城で豊臣秀頼と会見。これは大坂の役の前哨戦とも言える政治的な対面で、家康と秀頼の力関係が確定した重要な歴史的事件。
寛永3年(1626)、3代将軍・徳川家光が後水尾天皇の行幸を迎えるため大改修。本丸・二の丸御殿・天守を整備し、京都における徳川幕府の威信を最大化した。
寛延3年(1750)、落雷で天守が焼失。以後天守は再建されず、本丸御殿のみが京都御所から移築された。
慶応3年(1867)10月14日、15代将軍・徳川慶喜が二条城・二の丸大広間で「大政奉還」を表明。270年続いた徳川幕府が、ここで事実上終焉を迎えた歴史的な舞台。
明治以降、京都府庁・京都市役所などに転用された後、現在は「世界文化遺産・二条城」として整備されている。
見どころ・特徴
京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅すぐ、または市バス「二条城前」下車。
最大の見どころは「二の丸御殿」(国宝)。寛永3年(1626)の改修による、江戸初期の御殿建築の最高峰。33室・約3,300畳・襖絵約3,000面の壮麗な御殿で、狩野探幽(たんゆう)ら狩野派の最高峰の障壁画が観られる。
「大広間」は、徳川慶喜が大政奉還を表明した部屋。歴史の転換点の現場に立てる、世界でも稀有な体験。
「鶯張りの廊下」は、二の丸御殿の床下に仕掛けられた防犯装置。歩くと「キュッキュッ」と鳴る独特の音は、忍者対策の知恵。
「二の丸庭園」(特別名勝)は、池泉回遊式の名庭。後水尾天皇の行幸を迎えるために作庭された極上の庭。
「本丸御殿」は、京都御所から移築された貴重な建造物。
桜・紅葉と、四季を通じて美しい。特に4月上旬の桜のライトアップは、京都の春の風物詩。
「日本近世から近代への転換点」を体感する、極めて重要な歴史的聖地。
基本情報
住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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