この城について
浅井長政の本拠。戦国期、北近江を支配した浅井三代(亮政・久政・長政)の山城。標高約495mの小谷山に築かれた、近江最大級の戦国山城。天正元年(1573)、織田信長の攻撃で落城、長政・お市夫妻の悲劇の地。
歴史・由来
浅井長政の本拠。戦国期、北近江を支配した浅井三代(亮政・久政・長政)の山城で、標高約495mの小谷山に築かれた、近江最大級の戦国山城。
築城は大永4年(1524)頃、浅井亮政(すけまさ)による。亮政は六角氏と並ぶ近江の有力大名として頭角を現し、嫡男・久政、孫・長政の三代で浅井氏は最盛期を迎えた。
永禄10年(1567)、織田信長は浅井長政に妹・お市を嫁がせ、同盟を結んだ。だが元亀元年(1570)、信長の越前朝倉攻めで、長政は朝倉氏との旧縁を重んじて信長から離反、姉川の戦いで信長・家康連合軍と激突した。
天正元年(1573)9月1日、織田信長の3度目の小谷城攻めで、ついに落城。長政は本丸で自刃、父・久政も先立って自害。お市と娘たち(茶々・初・江、後の浅井三姉妹)は信長に保護され、城を出た。
「茶々」は後の豊臣秀吉の側室・淀殿、「初」は京極高次の正室、「江」は徳川秀忠の正室となり、二人の娘の血脈は江戸幕府の将軍家・天皇家にまで及んだ。「浅井三姉妹」は、戦国の最も影響力のある女性たちとして、日本史に名を残す。
近代以降、史跡として整備。広大な城域に郭跡・石垣・本丸跡が残り、戦国山城マニアの聖地。
見どころ・特徴
JR北陸本線「河毛」駅から徒歩・タクシー、または車で北陸自動車道「長浜IC」から約30分。
本丸まで徒歩約60分の本格的な登山。途中、出丸・京極丸・小丸・大広間跡など、複数の郭跡を巡りながら、戦国山城の縄張の妙を体感できる。
「小谷城跡ガイダンス施設・小谷城戦国歴史資料館」(山麓)では、浅井三代・浅井三姉妹の歴史を学べる。
「黒金門跡」「大広間跡」「本丸跡」の石垣の遺構が良好に残り、戦国期の総石垣城郭の姿を伝える。
近隣の「長浜城」(豊臣秀吉の出世城)、姉川古戦場と組み合わせて、戦国近江の歴史を堪能できる。
NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』(2011)以降、浅井三姉妹ファンの聖地としても人気。
基本情報
住所
滋賀県長浜市湖北町伊部
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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