この城について
別名「雲霧城」。文亀元年(1501)、今川氏の家臣・朝比奈泰煕が築城。山内一豊が10年間城主を務めた縁で、平成6年(1994)、日本初の本格木造復元天守として再建。
歴史・由来
別名「雲霧城」。文亀元年(1501)、駿河の戦国大名・今川氏の家臣・朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)が築城。
戦国期、今川氏の遠江支配の拠点として機能した。永禄11年(1568)、武田信玄の駿河侵攻で今川氏真が逃走、掛川城に籠城。約半年の籠城戦の末、徳川家康に開城した。
天正18年(1590)、徳川家康の関東移封に伴い、山内一豊(やまうちかずとよ)が掛川5万石で入城。一豊は約10年間、掛川城主を務めた。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦功で土佐24万石に転封されるまで、一豊が掛川を本拠地とした。
その後、青山・松平・本多・小笠原・太田と城主が変遷。明治の廃城令で天守は解体されたが、二の丸御殿(嘉永7年/1854築)は近代以降も残り、国の重要文化財として現存する。これは現存する城郭御殿として極めて稀少な遺構。
平成6年(1994)、天守が古絵図に基づき本格的に木造復元された。日本初の本格木造復元天守として、後の大洲城・白河小峰城・白石城など、平成の城郭木造復元ブームを牽引した記念碑的な城。
見どころ・特徴
JR・東海道新幹線「掛川」駅から徒歩約10分。
復元された天守は三重四階、白漆喰の優美な姿。本格的な木造復元で、安政の地震で焼失する以前の姿を、古絵図・古写真に基づき忠実に再現。
「二の丸御殿」(重要文化財)は、嘉永7年(1854)の建立。藩主が政務を執った御殿が現存するのは、二条城・川越城・高知城など全国でも数例のみで、極めて稀少。
「忍頂寺池泉廻遊式庭園」「四足門」など、城跡公園の見どころが多い。
桜の名所として親しまれ、3月下旬から4月上旬の桜まつりは、静岡県西部の花見スポット。
近隣には「掛川花鳥園」「資生堂アートハウス」など、家族連れにも楽しめる施設がある。
「平成の木造復元の元祖」として、城郭ファンには聖地。掛川以後の復元天守はすべてここから始まった、と言える歴史的位置付け。
基本情報
住所
静岡県掛川市掛川1138-24
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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