この城について
箱根の山の中腹、東海道沿いに築かれた戦国時代の山城の跡です。小田原の北条氏が西からの敵に備えた城で、豊臣秀吉の小田原攻めではわずか半日で落城しました。堀の底を格子や畝(うね)の形に掘り残した「障子堀(しょうじぼり)」がよく残り、北条氏の城づくりを知ることができます。国の史跡で、日本100名城(40番)にも選ばれています。
歴史・由来
山中城を知る鍵は、箱根の坂道を守るために造られ、たった半日で落ちた城だという点にあります。
【北条氏の西の守り】
山中城は、天文(てんぶん)年間から永禄(えいろく)年間(1530〜1560年頃)に、小田原に本拠を置いた北条氏(後北条氏)が築いた城です。箱根を越える東海道をおさえる場所にあり、小田原城を西から守る番城(ばんじろ。守備のための城)の役割を担いました。
【秀吉との戦いに備えて】
豊臣秀吉との対立が深まると、北条氏は秀吉軍を食い止めるため、山中城を大がかりに改修しました。
【半日の攻防】
天正(てんしょう)18年(1590)3月29日、豊臣秀次(とよとみひでつぐ)らが率いる約6万7千の豊臣軍が山中城に攻めかかりました。城を守る松田康長(まつだやすなが)ら北条勢は約4千。北条勢は激しく戦いましたが、城はわずか半日で落ちました。この戦いは、秀吉による小田原攻めの始まりを告げるものとなりました。
【よみがえった城跡】
昭和9年(1934)に国の史跡に指定されました。昭和48年(1973)から発掘調査が始まり、障子堀などの遺構が明らかになります。整備が進められ、昭和56年(1981)に史跡公園として一般に公開されました。
見どころ・特徴
【障子堀・畝堀(うねぼり)】堀の中に土手のような畝を掘り残して区切った堀です。上から見ると障子の桟(さん)や畑の畝のように見えることから、この名があります。堀に入った敵が自由に動けないようにする、北条氏の城ならではの工夫です。
【岱崎出丸(だいさきでまる)と西櫓(にしやぐら)】城の南西に張り出した岱崎出丸や、西の守りの要だった西櫓など、郭(くるわ)の跡が連なります。本丸、二ノ丸、西ノ丸、天守台の跡も歩いて巡れます。
【宗閑寺(そうかんじ)の武将の墓】城跡のそばの宗閑寺には、山中城の戦いで亡くなった敵味方の武将の墓があります。
【季節の花】春は桜、4月はツツジ、5月は藤やアヤメ、初夏には紫陽花、11月には紅葉が城跡を彩ります。
学び・特徴
社格
国指定史跡・日本100名城40番
創建
天文〜永禄年間(1530〜1560年頃)、後北条氏が築城
テーマ
日本100名城国史跡山城戦国
基本情報
住所
静岡県三島市山中新田410-4
見学時間
日本100名城のスタンプは、山中城跡の売店前に置かれています。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
【バス】JR・伊豆箱根鉄道「三島」駅から、元箱根方面行きの東海バスで約30分、「山中城跡」下車。
【車】無料駐車場あり。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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