この城について
歴史・由来
別名「海津城(かいづじょう)」。永禄3年(1560)、武田信玄が川中島合戦のため、家臣・山本勘助に命じて築かせた、戦国の最前線拠点。
第四次川中島合戦(1561年)で、上杉謙信との激戦の舞台となった「八幡原(はちまんばら)の戦い」の前線基地として機能した、戦国史上有名な城。
武田氏滅亡後、織田信長の家臣・森長可(もりながよし)、上杉景勝、田丸直昌、森忠政と城主が変遷。慶長5年(1600)、関ヶ原以後、森忠政が美作(岡山県)へ転封され、松平・酒井と続いた後、元和8年(1622)、真田信之(さなだのぶゆき、真田幸村の兄)が13万石で入城、以後明治維新まで真田氏10代の居城となった。
真田氏は、上田城を捨てて松代に転封されたものの、真田家としては大藩を維持。藩政期には佐久間象山(さくましょうざん)ら幕末の知の巨人を輩出し、明治維新の精神的素地を作った。
見どころ・特徴
基本情報
住所
長野県長野市松代町松代44
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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