この城について
別名「霞ヶ城」。畠山氏の居城を起源とし、丹羽氏15万石が江戸期を通じて城主を務めた。戊辰戦争で二本松少年隊が散った悲劇の城として知られる。
歴史・由来
別名「霞ヶ城」。応永21年(1414)頃、畠山満泰(はたけやまみつやす)が築いたのが始まり。畠山氏は南北朝期からの名族で、二本松一帯を約170年間支配した。
天正14年(1586)、伊達政宗の攻撃で畠山氏が滅亡。その後は伊達・蒲生・上杉と城主が変わり、寛永20年(1643)、丹羽光重(にわみつしげ)が10万700石で入城、以後明治維新まで丹羽氏10代の居城となった。
慶応4年(1868)、戊辰戦争で新政府軍の総攻撃を受け落城。この時、藩の若衆隊「二本松少年隊」が出陣し、12〜17歳の少年たちが多数戦死した悲劇は、会津白虎隊と並ぶ戊辰戦争の悲話として今も語り継がれる。
明治の廃城令で建造物の多くは解体されたが、石垣・堀の遺構は良好に残り、霞ヶ城公園として整備された。
見どころ・特徴
JR東北本線「二本松」駅から徒歩約20分。
平成7年(1995)復元の「箕輪門」は、本格的な木造復元で、丹羽氏時代の威容を伝える。
本丸跡の高石垣は、東北を代表する近世石垣。総石垣の重厚な姿が見応えあり。
「二本松少年隊群像」は、戦死した少年たちを慰霊する記念碑。戊辰戦争の悲劇を今に伝える。
桜の名所として親しまれ、4月中旬から下旬の桜まつりは、福島県を代表する花見スポット。
10月の「菊人形展」は、二本松の秋の風物詩。江戸期から続く伝統行事として、城跡を彩る。
基本情報
住所
福島県二本松市郭内3-232
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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