TabiShiri
城 今治市

甘崎城

あまざきじょう

この城について
瀬戸内海に浮かぶ小さな島「古城島(こじょうじま)」全体を城郭とした、珍しい海城(うみじろ)跡。天智天皇10年(671年)ごろの築城と伝わり、戦国時代には村上水軍の一つ・来島村上氏(くるしまむらかみし)の拠点となった。江戸時代初め、藤堂高虎(とうどうたかとら)によって総石垣造りに改修されたと伝えられる。大潮の干潮時には対岸の大三島(おおみしま)から歩いて渡れることがある。

歴史・由来

甘崎城(あまざきじょう)は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島「古城島(こじょうじま)」全体を城郭とした、珍しい「海城(うみじろ)」である。 築城については、天智天皇10年(671年、異説では663年とする資料もある)、朝鮮半島での白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)に敗れた後、唐(とう)・新羅(しらぎ)連合軍の侵攻に備えて越智氏(おちうじ)が築いたという伝承が伝わる。ただしこれを裏付ける確かな史料は見つかっておらず、あくまで言い伝えとして語られている点に注意したい。 中世には、瀬戸内海で活躍した村上水軍のうち、来島村上氏(くるしまむらかみし)がこの城を拠点の一つとした。戦国時代末期には、来島村上氏の重臣・村上吉継(むらかみよしつぐ)が城主を務めたことが分かっている。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのあと、伊予国(現在の愛媛県)を治めることになった藤堂高虎(とうどうたかとら)が、甘崎城を総石垣造りの本格的な海城へと改修したと伝えられる。しかし慶長13年(1608年)、高虎が伊勢(現在の三重県)へ移封(いほう、領地を移されること)となったことで、甘崎城は廃城となった。 以後は無人の島となり、石垣の遺構が今も海岸沿いに残っている。昭和51年(1976年)4月16日、愛媛県指定史跡となった。

見どころ・特徴

【干潮時に現れる「海の道」】大潮(おおしお)の干潮時、主に4月から8月ごろに、対岸の大三島(おおみしま)から歩いて渡れる砂の道が現れることがある(現地では「海割れ現象」と呼ばれる)。現れる日時は年によって異なり、まったく現れない年もある。訪れる前に潮汐表で確認しておきたい。 【石垣の遺構】藤堂高虎による改修時に築かれたとされる石垣が、島の海岸沿いに今も残っている。海中に沈んだ石も見られ、海城としての姿を今に伝える。 【島からの眺め】島の高台からは、瀬戸内海やしまなみ海道、大三島を見渡すことができる。 【あわせて訪ねたい】対岸の大三島には、伊予国一之宮(いよのくにいちのみや)である大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)がある。参拝とあわせて訪れるのもよい。
学び・特徴
社格
愛媛県指定史跡(昭和51年/1976年4月16日指定)。日本100名城・続日本100名城には選定されていない。
創建
伝承では天智天皇10年(671年、異説では663年とする資料もある)、白村江の戦いに敗れた後の唐・新羅連合軍の侵攻に備えて越智氏(おちうじ)が築いたとされる。ただしこれを裏付ける確かな史料はなく、あくまで言い伝えである。
テーマ
海城
基本情報
住所
愛媛県今治市上浦町甘崎4661
アクセス
しまなみ海道「大三島IC」から車で約1分。しまなみ海道大三島バスストップから徒歩約10分。古城島へ渡れるのは大潮の干潮時に限られ、渡れる日時は年によって異なるため、訪れる前に潮汐表で確認することをおすすめします。渡る際は長靴があると安心です。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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