この城について
伯方島(はかたじま)の中心・木浦港(きのうらこう)を見下ろす丘陵に築かれた城。平安時代末期の嘉応2年(かおう、1170年)ごろ、伊予の豪族・河野氏(こうのし)の家臣であった紀氏(きし)によって築かれたと伝わる。承久3年(じょうきゅう、1221年)の承久の乱(じょうきゅうのらん)で滅んだのち、戦国時代には村上水軍(むらかみすいぐん)・能島村上氏(のしまむらかみし)によって、伯方城(はかたじょう)の支城(しじょう、出先の城)として再び使われたとみられる。現在は「伯方ふるさと歴史公園」として整備されているが、模擬天守(もぎてんしゅ)を含む館内施設は2021年3月から休止中(2026年現在も再開情報なし)。
歴史・由来
木浦城は、平安時代末期の嘉応2年(1170年)ごろ、伊予(いよ、今の愛媛県)の有力な武士だった河野氏(こうのし)の家臣・紀氏(きし)によって築かれたと伝わります。標高約96〜98メートルの岩ヶ峰(いわがみね)の山頂に、曲輪(くるわ、平らに造成した区画)を連ねた山城でした。
承久3年(1221年)、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が鎌倉幕府の打倒を図って挙兵した「承久の乱(じょうきゅうのらん)」が起こると、紀氏は河野氏とともに上皇方について戦いましたが敗れ、木浦城は鎌倉方の攻撃を受けて落城し、いったん歴史の表舞台から姿を消しました。
その後、戦国時代になると、瀬戸内海(せとないかい)を拠点とした村上水軍(むらかみすいぐん)、なかでも能島村上氏(のしまむらかみし)によって城が再び使われ、伯方島にあった本城・伯方城(はかたじょう)の支城として機能したと考えられています。伯方島は古くから塩づくりで知られる島で、木浦城もその繁栄と無関係ではなかったとみられますが、城が塩の流通を直接管理していたと断定できる記録は今回見つけられませんでした。
明治以降、城跡は宅地や農地として利用されてきましたが、山頂部分は「伯方ふるさと歴史公園」として整備され、模擬天守や資料館が建てられました。しかし、この施設は2021年3月末で休止しており、2024年時点でも館内には入れない状態が続いています。駐車場や外からの眺めは今も楽しめます。
見どころ・特徴
【瀬戸内海を望む眺望】
山頂の展望回廊(模擬天守)からは瀬戸内海(せとないかい)を一望できる、伯方島でも屈指の眺めのよい場所。ただし現在、館内には入れない。
【承久の乱ゆかりの古城】
鎌倉時代初期の承久の乱で滅んだ、伊予の古い山城の一つ。戦国時代には村上水軍の支城として再利用された、二つの時代にまたがる歴史を持つ。
【岩ヶ峰古墳】
公園内には、古墳時代の岩ヶ峰古墳(いわがみねこふん)が復元・保存されている。
【訪ねかた】
資料館・模擬天守の内部は現在休止中のため、見学の中心は駐車場からの眺望と城跡の地形になる。近くの「道の駅 伯方S・Cパーク」や、橋を渡った先の大三島にある「伯方塩業 大三島工場」、伯方島名物の「伯方の塩ラーメン さんわ」などとあわせて、しまなみ海道の途中に立ち寄る形がおすすめ。
学び・特徴
社格
築城者は紀氏(河野氏の家臣)。戦国時代には村上水軍・能島村上氏の支城として機能したとみられる。
創建
嘉応2年(1170年)ごろ、紀氏によって築かれたと伝わる。
基本情報
住所
愛媛県今治市伯方町木浦甲546
アクセス
しまなみ海道「伯方島インターチェンジ」から車で約5分から15分(情報源により幅があります)。山頂まで車道があり、駐車場(無料、約30〜50台)を利用できます。
なお、園内の模擬天守・資料館は2021年3月から休止中で、2026年現在も再開の情報は確認できていません。駐車場と外観の見学は可能です。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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