この城について
伊予東部・新居郡(現西条市)にあった山城。石鎚山系の麓、標高233メートルの山頂に築かれ、伊予東部と讃岐・阿波方面を結ぶ街道を抑える戦略的要衝だった。南北朝期に河野氏によって築かれ、のちに家老の石川氏が城主となったと伝わる。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、一つの山城が二つの有力な一族の手を渡り歩いた末に、戦国の終わりとともに姿を消したという点にある。
高峠城は、南北朝時代の康暦年間(1379〜1381年ごろ)、伊予国(現在の愛媛県)に大きな勢力を持っていた河野氏(こうのし)によって築かれたと伝わる。以後8代にわたり河野氏がこの城を治めたとされる。
天正3年(1575)、城主が病死すると、側近の家老だった石川備中守(いしかわびっちゅうのかみ)がその跡を継ぎ、以後は石川氏が城主となった。石川氏の時代には、讃岐の細川氏、阿波の三好氏、土佐の長宗我部氏など、四国各地の勢力と接する伊予東部の防衛を担う重要な拠点だった。
天正13年(1585)、豊臣秀吉の命を受けた毛利・小早川隆景の軍勢が四国に攻め込むと、高峠城も戦火に巻き込まれた。当時の城主・石川虎竹丸(いしかわとらたけまる)はまだ幼く、重臣たちの協議により、より守りに適した高尾城(たかおじょう)へ移ることになった。しかし圧倒的な兵力差の前に抗しきれず、石川氏はこの戦いで敗れ、高峠城も廃城となった。
近代以降は山中に埋もれていたが、平成期の発掘調査で、中世山城の郭(くるわ)や堀切(ほりきり)といった遺構が確認されつつある。
見どころ・特徴
【山頂からの絶景】
標高233メートルの山頂部からは、石鎚山系・燧灘(ひうちなだ)・讃岐山脈まで一望できる。
【郭・堀切などの遺構】
発掘調査によって、中世山城らしい郭や堀切が確認されつつあり、本格的な登山を伴う「城マニア向け」の山城として知られる。
【前神寺と組み合わせた巡拝】
近くには四国八十八ヶ所霊場第64番札所・前神寺があり、伊予東部の山岳信仰とあわせて訪ねたい。
【西条まつりとの組み合わせ】
西条市内では毎年10月、豪華なだんじり・みこし・太鼓台で知られる「西条まつり」が開催される。城跡探訪と祭礼見物をあわせて楽しむこともできる。
学び・特徴
社格
西条市指定史跡。
創建
南北朝時代の康暦年間(1379〜1381年ごろ)、河野氏によって築かれたと伝わる。天正3年(1575)からは家老の石川氏が城主となった。
基本情報
住所
愛媛県西条市
見学時間
見学は基本的に自由だが、本格的な登山道を進む必要があり、装備を整えたうえで訪ねること。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR予讃線「石鎚山」駅から直線距離で約1.8キロ。登山口までは車の利用が現実的。山頂の主郭までは本格的な登山道を歩く必要がある。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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