この城について
河野氏の北方拠点。北条の地に築かれた山城で、鹿島城・恵良城と連携して、河野氏発祥の地・北条(旧称・河野郷)の防衛網を成した。発掘調査により中世の郭・堀切が確認されている。
歴史・由来
河野氏の北方拠点。松山市北条の山地に築かれた山城で、鹿島城・恵良城と連携して、河野氏発祥の地・河野郷の防衛網を成した。
築城時期は不詳だが、平安末期から鎌倉期にかけて、河野氏一族の支城として整備された。「黒川」の名は、城のすぐそばを流れる黒川(くろかわ)に由来する。
戦国期、河野氏家臣団の中でも特に勇猛な一族が守備を任された。北方からの侵攻に備える要塞として、機能した。
天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国平定で河野氏が降伏すると、黒川城も廃城となった。
近代以降、山中に埋もれていたが、平成期の発掘調査で、中世の郭・堀切・土塁が確認されている。
見どころ・特徴
JR予讃線「伊予北条」駅から車で約15分。松山市北条の山地に位置する。
整備は進んでいないため、登山道は最小限。本格的な城郭探訪を求める城マニア向けの渋い名城。
山頂部の郭跡からは、河野郷(北条の地)と瀬戸内海が一望できる絶景。
鹿島城・恵良城・黒川城を組み合わせた「河野氏発祥の地・北条の城跡巡り」が、中世伊予史マニアの聖地巡礼コース。
地元の郷土史団体が時折ガイド付き見学会を開催することもあり、機会があれば参加したい。
基本情報
住所
愛媛県松山市北条
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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