この城について
河野氏の祖が拠ったと伝わる、
河野郷を見下ろす標高302mの山城。
愛媛県指定史跡。河野氏発祥の聖地に近接し、平安末期から戦国期にかけて、河野一族の象徴的な拠点として機能した。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、河野氏という伊予最大の武家が「どこを故郷と意識したか」にある。
恵良山の文献初出は治承5年(1181)。備後の奴可入道西寂が攻め込んできたとき、河野通清がこの城などに兵を入れて守らせたという記録が残る。それ以前、難波次郎長浦なる人物が築き居城したという伝承があるが、時代は不明とされている。
以来、湯築城が河野氏の本城として松山平野の中心に移ってからも、恵良城は「発祥の地を守る城」という格式を持ち続けた。格式の高い家臣が守備を任されたというのは、この城が単なる出城ではなく、氏族の精神的な拠りどころとして機能していたことを示している。
天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国平定で河野氏が滅亡した後、得居通之が戦功によって3,000石とともにこの城を与えられた。しかし来島康親が九州へ移封されるのに伴い廃城となり、以後は山と遺構のみが残された。
見どころ・特徴
【愛媛県指定史跡の遺構群】天険を巧みに利用した石積み、延長130mにわたる帯状の腰曲輪、各所に張り出した桝形郭、貯水井戸の跡、さらに山の西南斜面には三段の土塁跡が残る。水軍的な戦術(谷間や尾根に敵を誘い込み挟撃する構え)を意識した縄張りは、伊予の城郭の特徴をよく示している。
【イブキビヤクシンの自生地】城跡の山はイブキビヤクシン(ビャクシン属の常緑針葉樹)の自生地としても知られ、歴史遺構と希少植生の両方が共存する珍しいスポット。
【山頂からの眺望】瀬戸内海・松山平野・忽那諸島まで見渡せる。登山口から本郭まで徒歩約40分の急坂で、登山装備推奨。現地案内は最小限。
学び・特徴
社格
愛媛県指定記念物(史跡)昭和52年4月15日指定
創建
築城者・築城年不詳。文献初出は治承5年(1181)。廃城:天正13年(1585)頃
基本情報
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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