TabiShiri
城 上浮穴郡久万高原町

大除城

おおよけじょう

この城について
中世伊予最大級の山城。標高694mの山頂を本郭とし、複数の郭・堀切・土塁を巧みに配する。河野氏の重臣・大野氏(おおのし)の本拠。土佐との国境を抑える戦略的要衝。

歴史・由来

伊予の中世山城としては最大級の規模を誇る、知る人ぞ知る名城。久万高原町の山深い地、標高694mの山頂を本郭とし、複数の郭・堀切・土塁を巧みに配置した、まさに「山城の教科書」のような城。 築城年代は正確には分かっていませんが、長禄・寛正の頃(1460年頃)、あるいは文亀元年(1501年)頃という説があります。築いたのは河野氏に仕えた重臣・大野氏(おおのし)です。大野氏は道後の湯築城主・河野氏の部将で、執事(しつじ)のような役割を担った家系でした。安芸守直家(あきのかみなおいえ、朝直)、利直、直昌と、大野氏は3代にわたってこの城の主を務めました。 伊予と土佐の国境にあたるこの地は、戦国期を通じて極めて重要な戦略拠点でした。3代目・直昌の時代には、永禄11年に土佐の一条氏が500騎余りで攻め込んできたのを撃退するなど、度重なる攻撃をしのいできました。 しかし天正13年(1585)、豊臣秀吉による四国征伐で、大除城は小早川隆景(こばやかわたかかげ)が率いる軍勢に包囲されます。抗いきれず、開城・降伏する決断が下され、大除城はその役目を終えました。 以後、約450年にわたって山中に埋もれていましたが、平成期に入って地元の保存運動と発掘調査により、その全貌が次第に明らかになってきました。城郭研究者の間では「伊予を代表する山城」として高い評価を受けています。

見どころ・特徴

車で松山自動車道「松山IC」から約1時間、または久万高原町中心部から車で約20分。久万高原町菅生の山深い集落から登山道へ。 登山口から山頂の本郭までは20分程度、整備されていて歩きやすい道です。途中、堀切・土塁・郭跡が次々に現れ、戦国期の山城の縄張の妙を実感できます。「歩く城郭考古学」体験ができる稀有な名城です。 【登り石垣】彦根城など全国でも数例しかない珍しい遺構「登り石垣」が残っています。7つの曲輪(くるわ)で構成され、南側には竪堀(たてぼり)もよく残っています。 本郭からは、久万高原・石鎚山系の絶景。秋の紅葉、初冬の雲海など、季節ごとの絶景が見どころです。 近隣には、四国八十八ヶ所霊場第44番札所・大宝寺、第45番札所・岩屋寺、久万高原天体観測館などがあり、伊予の山岳信仰と組み合わせて訪れたい。 「山城ファンの聖地」として、城マニアの中では知られた存在です。普通の観光地ではなく、ある程度の歩く準備(登山靴・水)が必要ですが、それゆえに本格的な戦国体験ができます。倒木が散在している箇所もあるため、足元にご注意ください。 久万高原町は四国カルストへの玄関口でもあり、山城探訪と高原ドライブを組み合わせた「伊予の山旅」の出発点として最適です。
基本情報
住所
愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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