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城 今治市

能島城

のしまじょう

この城について
戦国期、瀬戸内海を制した「村上水軍」三家のうち最強と謳われた能島村上家の本拠。 大島と伯方島との間の宮窪瀬戸(荒神瀬戸)に浮かぶ能島・鯛崎島の二島すべてが城郭という、世界でも稀有な海城。昭和28年(1953年)に国指定史跡。続日本100名城(178番)。

歴史・由来

能島城を理解する鍵は、「島そのものが城」という発想にある。 大島と伯方島との間の宮窪瀬戸(荒神瀬戸)に浮かぶ能島・鯛崎島は、無人の岩礁をまるごと城郭に仕立てた、世界の城郭史でも稀有な「海上要塞」だった。南北朝時代に村上義弘が拠ったと伝わり、室町期以降に本格的な城として整備された。本丸・二の丸・三の丸・出丸からなる城郭は、桟橋跡や船溜まりを含む大規模なものだった。 この城を最盛期に率いたのが、戦国末期の当主・村上武吉(1536〜1604)。永禄から天正年間(1558〜92)にかけて、織田・豊臣・毛利・大友氏らと巧みに駆け引きを繰り広げ、瀬戸内海最強の水軍として恐れられた。天正4年(1576)の第一次木津川口の戦いでは毛利・村上水軍連合が織田水軍を撃破。だが天正6年(1578)の第二次木津川口の戦いでは、九鬼嘉隆の鉄甲船6隻に敗れた。 天正16年(1588)、豊臣秀吉の海賊停止令により村上水軍は事実上解体され、能島城も廃城。武吉一族はその後毛利氏に仕え、後の長州藩士として続いた。 廃城後、能人が住まぬまま400年以上が経過したため、城郭遺構はほぼ手付かずで残った。昭和28年(1953年)3月、国指定史跡「能島城跡」に指定。令和の発掘調査でも、岩盤に刻まれた柱穴・桟橋跡が次々と発見されている。平成29年(2017年)に続日本100名城選定、令和元年(2019年)に日本遺産「日本最大の海賊の本拠地」の構成資産に認定された。

見どころ・特徴

【国指定史跡・丸ごと海城】能島・鯛崎島の二島が一体の城郭。頂上を削平した本丸、その下を巡る二の丸、南西に接する三の丸、北東出丸(矢櫃)など、本格的な海城の縄張りが無人島に保存されている。鯛崎島は出丸として機能し、能島と合わせて一体の要塞を形成していた。 【激流体験】能島周囲は鳴門・関門と並ぶ日本三大急潮の一つ。干満時の潮速は最大10m/秒に達し、観潮船ではこの激流を間近に体感できる。村上水軍の操船技術の卓越さを体感できる。 【令和の発掘成果】近年の発掘調査で岩盤を加工した柱穴・船着場・隔絶郭が次々と確認されており、中世海城の実態が明らかになりつつある。 【村上海賊ミュージアム】宮窪港前に所在。実物の鎧・書状・船の模型など村上水軍の資料を展示。能島城を訪問する前後に立ち寄ることを推奨。 【現状】能島は現在も無人島。上陸は可能な場合があるが、通常は観潮船での見学が主体。整備された遊歩道・展示施設は島内にない。
作品ゆかり
和田竜の歴史小説『村上海賊の娘』(2014年本屋大賞)の主舞台。 能島城を本拠とする村上武吉の娘・景を主人公に、石山本願寺への兵糧輸送をめぐる激闘が描かれる。村上武吉に関する史料(萩藩譜録)に娘の存在が記されていたことに着想を得た作品で、同書の人気が能島・宮窪への来訪者増加につながった。
学び・特徴
創建
南北朝時代に村上義弘が拠ったと伝わる(文化庁解説)。室町期以降に本格的な城郭として整備されたとされる。
テーマ
離島武将
基本情報
住所
愛媛県今治市宮窪町宮窪 能島
見学時間
能島は無人島につき自由(観潮船での訪問が主)。観潮船(宮窪港発)の運行日時・料金は宮窪町漁業協同組合または村上海賊ミュージアムに要確認。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
しまなみ海道「大島南IC」または「大島北IC」から宮窪港(村上海賊ミュージアム前)へ約10〜15分。宮窪港から宮窪町漁業協同組合が運営する観潮船で能島周辺の潮流体験が可能。上陸見学の可否・日程は事前に確認を。宮窪港付近に駐車スペースあり。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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