この城について
肱川(ひじかわ)のほとりに建つ、伊予の小京都・大洲のシンボル。慶長元年(1596)、藤堂高虎による築城。平成16年(2004)に古絵図・古写真をもとに天守を木造復元、現代日本城郭復元の金字塔。
歴史・由来
伊予の小京都・大洲のシンボル。肱川(ひじかわ)のほとり、舟運の要衝に建つ優美な城。
築城の起源は鎌倉時代末、元徳3年(1331)、伊予の守護・宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が地蔵ヶ岳に砦を築いたのが始まり。
戦国期、宇都宮氏が河野氏に追われた後、土佐の長宗我部氏、豊臣秀吉の四国平定を経て、慶長元年(1596)、藤堂高虎が領主となり本格的な近世城郭として整備。今治城・宇和島城に先立つ、高虎の若き日の作品。
慶長14年(1609)、淡路から脇坂安治(わきざかやすはる)が入城、現在の天守の基礎を築いた。元和3年(1617)、加藤貞泰(かとうさだやす)が入城、以後明治維新まで加藤家13代の居城となった。
明治21年(1888)、老朽化を理由に天守が解体された。だがその際に克明な実測図、古写真、明治前の絵図が大量に残されていたことが、後の復元の決定的な手がかりとなった。
平成16年(2004)、四層四階の天守が、江戸時代以来の工法・材料を可能な限り忠実に再現する形で「木造復元」された。これは戦後の日本城郭復元の中で、最も学術的に厳密な復元の一つとして高く評価されている、現代日本の城郭再生の金字塔。
「鉄筋コンクリート復興天守ではない、本物の木造天守」が、明治以降に新たに生まれた稀有な事例として、城郭ファンの聖地となっている。
見どころ・特徴
木造復元された四層四階の天守は、本物の檜・松・杉で組み上げられた極めて美しい姿。階段は急勾配、天井は低く、現存12天守と同じ「本物の城」の手触りを体感できる。
天守最上階からは、肱川と大洲の城下町、北方の冨士山(とみすやま、ふじやま)まで一望できる絶景。
「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」は、大洲城下の肱川河畔に建つ近代和風建築の傑作。明治時代の貿易商・河内寅次郎が10年の歳月をかけて建てた数寄屋造の山荘で、国の重要文化財。城と合わせて訪れる定番コース。
「鵜飼(うかい)」は、大洲の夏の風物詩。肱川で行われる鵜飼は岐阜長良川と並ぶ全国でも有数のものとして親しまれ、屋形船から鵜飼の幻想的な風景を楽しめる(6〜9月)。
「キャッスルステイ」は、なんと天守に宿泊できる前代未聞のプログラム。城下町のホテル「NIPPONIA HOTEL 大洲」の特別プランとして、年間数日のみ実施。城の中で過ごす一晩は、まさに「殿様体験」。
桜の名所としても屈指。3月下旬から4月上旬、肱川河畔から見る「桜と天守と肱川」の景色は、伊予の春を象徴する絶景。
参拝後は大洲城下町散策、近隣の臥龍の渕、内子町(重要伝統的建造物群保存地区)と組み合わせて、伊予の文化を堪能できる。
基本情報
住所
愛媛県大洲市大洲903
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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