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城 御城印 宇和島市

宇和島城

うわじまじょう

別名:鶴島城(つるしまじょう)

この城について
宇和島城(うわじまじょう)は、愛媛県宇和島市にある現存12天守のひとつです。築城の名手として知られる藤堂高虎(とうどうたかとら)が、文禄4年(1595年)にこの地を治めることになったのをきっかけに、中世の砦を近世の城へと造り替えました。堀の形をわざと五角形にするなど、随所に高虎らしい工夫が凝らされています。高虎が今治へ移ったあと、伊達政宗(だてまさむね)の長男・秀宗(ひでむね)が入り、以後9代にわたって伊達家が治めました。今も残る優美な天守は、2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が寛文年間(1660年代)に建て替えたものです。

歴史・由来

宇和島城を理解する鍵は、「戦うための城」として生まれた縄張りと、「見せるための城」として完成した天守が、同じ場所に重なっていることにあります。 この地にはもともと板島丸串城(いたじままるくしじょう)という中世の砦がありました。文禄4年(1595年)、藤堂高虎が5万石を加増されて宇和郡7万石を拝領し、この地を任されます。高虎は文禄・慶長の役や築城の実務で腕を磨いた武将で、慶長元年(1596年)から本格的な普請にかかり、慶長6年(1601年)ごろに近世城郭としての宇和島城をほぼ完成させました。外堀を五角形に築いたのも高虎の工夫のひとつで、当時の幕府の偵察でさえ形を見誤ったと伝わるほど、敵の目をあざむく縄張りになっています。 高虎は関ヶ原の戦い(1600年)で徳川方について功をあげ、戦後に今治12万石を加増されて本拠を今治へ移しました。宇和島にはその後、家臣の藤堂良勝が城代として残り、慶長13年(1608年)からは富田信高(とみたのぶたか)が城主となりますが、富田家は慶長18年(1613年)に改易されてしまいます。 代わってこの地に入ったのが、仙台藩主・伊達政宗の長男でありながら側室の子であったために家督を継げなかった秀宗です。大坂冬の陣での戦功により、慶長19年(1614年)12月、徳川家康から伊予宇和島10万石を与えられ、翌年の元和元年(1615年)3月18日、家臣団「伊達五十七騎」とともに宇和島に入りました。ここから明治維新まで、9代にわたって伊達家がこの地を治めることになります。 高虎が築いた初代の天守は老朽化が早く、2代藩主・伊達宗利が寛文2年(1662年)から城全体の大改修に着手し、寛文年間半ば(1665〜1666年ごろ)には現在も残る天守が完成しました。すでに戦のない太平の世になっていたこともあり、新しい天守は防御よりも美しさを重視した造りになっています。白漆喰で塗り込めた壁に、唐破風(からはふ)や千鳥破風(ちどりはふ)を組み合わせた屋根は、実戦の城というより格式を示す建物としての性格が強く表れています。 天守は昭和9年(1934年)に旧国宝保存法にもとづく国宝(現在の重要文化財に相当)に指定され、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行で重要文化財という区分に変わりました(格下げではなく、法律の切り替えに伴う整理です)。城跡全体も昭和12年(1937年)に国の史跡に指定されています。

見どころ・特徴

【五角形の縄張り】外堀を五角形に築いた藤堂高虎の工夫が、宇和島城最大の特徴です。四角形を予想して攻めてくる敵の意表を突くとともに、一辺を物資の搬入口や落ち延びる際の抜け道にもできる、実戦を意識した設計でした。 【太平の世の天守】現存する天守は2代藩主・伊達宗利が寛文年間に建て替えたもので、三重三階、高さ約15.8メートルの層塔型です。白漆喰の壁に唐破風や千鳥破風を組み合わせた屋根は、戦のなくなった時代らしい、見せることを意識した造りになっています。 【現存する最大級の薬医門・上り立ち門】搦手道口に立つ「上り立ち門」は、国内に残る薬医門(やくいもん)としては最大級の規模を誇ります。木材の年代調査では、藤堂高虎による築城期(1596〜1601年ごろ)まで建立がさかのぼる可能性が指摘されており、現存天守よりも古い建物かもしれません。 【本丸の石垣と眺望】本丸を支える石垣は、山の岩盤と一体化するように築かれています。天守からは宇和島湾や瀬戸内の島々を望むことができ、藤堂高虎が海城(水城)としてこの地を選んだ理由を体感できます。
年中行事・お祭り
【伊達なうわじまお城まつり・伊達五十七騎大武者行列】例年5月4日・5日ごろ、宇和島城と城山公園を中心に開催されます。伊達秀宗が元和元年(1615年)に家臣団「伊達五十七騎」とともに宇和島へ入った出来事を再現した武者行列が見どころで、天守での体験イベントやステージイベントも行われます。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

学び・特徴
社格
慶長19年(1614年)の伊達秀宗の入封から明治維新まで、宇和島藩10万石の居城として伊達家が9代にわたり統治しました。
創建
慶長元年(1596年)ごろ、藤堂高虎(とうどうたかとら)が着工し、慶長6年(1601年)ごろに近世城郭として完成しました。現存する天守は、2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)による大改修で寛文年間(1665〜1666年ごろ)に建てられたものです。
テーマ
現存12天守日本100名城国指定重要文化財
基本情報
住所
愛媛県宇和島市丸之内1
見学時間
3月から10月は9時から17時まで、11月から2月は9時から16時までです。年中無休ですが、台風など荒天時は臨時休城することがあります。 【料金】大人200円、65歳以上160円、高校生以下は無料、団体(20名以上)は160円です。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
【徒歩】JR宇和島駅から城山の入口まで徒歩約15分、天守までは約35分 【車】宇和島朝日インターチェンジから約4分 【駐車場】城山下駐車場(普通車46台、1時間100円、24時間利用可)。バイクは進入禁止で、専用駐輪場が国道沿いにあります
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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