TabiShiri
城 御城印 彦根市

彦根城

ひこねじょう

別名:金亀城(こんきじょう)

この城について
徳川四天王・井伊家の居城。いまに残る12の天守のうち、国宝に指定された5つのひとつを持つ。慶長9年(1604年)に工事が始まり、元和8年(1622年)に完成したと伝わる。天守は三重三階地下一階で、屋根の飾り「破風(はふ)」が18もつく華やかな姿。城跡全体が国の特別史跡、庭園は国の名勝「玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)」。令和8年(2026年)9月、世界文化遺産の国内推薦候補に選ばれた。

歴史・由来

この城を読み解く鍵は、ゼロから建てた城ではない、という点にある。 関ヶ原の戦い(慶長5年・1600年)のあと、徳川家康は近江(おうみ。いまの滋賀県)の要(かなめ)を井伊直政(いいなおまさ)に任せた。直政が入ったのは、敗れた石田三成の居城・佐和山城(さわやまじょう)である。しかし佐和山は西軍の象徴であり、井伊家は隣の彦根山に新しい城を築くことにした。その直政は関ヶ原で受けた傷がもとで慶長7年(1602年)に世を去り、城づくりは子の直継(なおつぐ)、そしてその弟の直孝(なおたか)へ引き継がれる。 工事が始まったのは慶長9年(1604年)7月1日。徳川幕府が諸大名に命じて造らせる「天下普請(てんかぶしん)」で、7か国12大名が動員された。そこへ、近くの城の建物や石材が次々と運び込まれる。天守は大津城の四重五階の天守を三重に縮めて移したものと伝わり、天秤櫓(てんびんやぐら)は長浜城から、西の丸三重櫓は小谷城(おだにじょう)から移したという。寄せ集めのようだが、これは縁起をかつぐ意味に加え、費用と工期を切り詰めるための当時ごく普通のやり方だった。完成は元和8年(1622年)。着工からおよそ20年がかかっている。 井伊家は幕府のなかでも別格の家で、「井伊の赤備え(あかぞなえ)」で知られた。これは武田信玄の家臣・山県昌景(やまがたまさかげ)の部隊が使っていた朱塗りの武具を、武田家が滅びたあとに直政が引き継いだもの。幕末には13代藩主・井伊直弼(いいなおすけ)が大老(たいろう)となり、安政7年(1860年)3月3日、江戸城の桜田門の外で暗殺された。 明治に入ると城は「無用の長物」とされ、全国で多くの城が壊された。彦根城も民間に売られて取り壊される予定だったが、明治11年(1878年)に彦根を訪れた明治天皇に随行していた大隈重信(おおくましげのぶ)が保存を願い出たことで、天守や櫓が守られたと伝えられる。 平成4年(1992年)に世界遺産の暫定リストに記載され、令和8年(2026年)9月、文化審議会が国内推薦の候補に決定した。登録の可否が決まるのは2028年の予定である。

見どころ・特徴

【国宝の天守】三重三階地下一階。石垣の上に立つ高さは約15.5メートルで、大きさそのものは姫路城の半分ほどしかない。そのかわり、屋根の三角形の飾りである破風(はふ)が18もつく。千鳥破風・切妻破風・唐破風(からはふ)・入母屋破風(いりもやはふ)の4種類を詰め込んだもので、いまに残る12の天守のなかで最も多い(姫路城は17)。最上階には外へ張り出した縁と手すりがつき、内側からは琵琶湖と城下町が見渡せる。 【天守内部の急な階段】敵を上から突き落とせるように、階段は最大62度という急な角度でつくられている。弓を射るための長方形の狭間(さま)と、鉄砲を撃つための三角形の狭間が、外から見えないように隠して設けられているのも見どころ。登るときは手すりをしっかり握りたい。 【天秤櫓と廊下橋】細長い建物の両端に二階建ての櫓を置いた、天秤ばかりのような形の櫓。国の重要文化財。尾根を断ち切った堀切(ほりきり)に架かる廊下橋を渡った正面に立ちふさがり、いざというときは橋を落として敵を止める仕組みだった。石垣は向かって右が牛蒡積み(ごぼうづみ)、左が落し積みと、左右で積み方が違う。 【登り石垣】山の斜面を登るように築かれた、高さ1〜2メートルの石垣。斜面を横切ろうとする敵の動きを止めるためのもので、彦根城には5か所残る。国内でこれが見られるのは彦根城と洲本城(すもとじょう。兵庫県)、松山城(愛媛県)だけである。 【太鼓門櫓・西の丸三重櫓・馬屋】いずれも国の重要文化財。太鼓門櫓(たいこもんやぐら)は本丸の入口を守る門で、その名のとおり太鼓を置いて時を知らせたとされる。西の丸三重櫓は城の北西を固める三階建ての櫓。馬屋(うまや)は藩の馬をつないだ建物で、城に残っている例がきわめて少ない。 【玄宮園】4代藩主・井伊直興(いいなおおき)が延宝5年(1677年)に造ったとされる、池をめぐって歩く形式の大名庭園。琵琶湖と近江八景(おうみはっけい)に見立ててつくられ、池ごしに天守を見上げる眺めが有名。隣の楽々園(らくらくえん)とあわせて国の名勝「玄宮楽々園」に指定されている。 【彦根城博物館】藩の政庁であり藩主の住まいでもあった表御殿(おもてごてん)を復元した建物。井伊家に伝わった甲冑(かっちゅう)・刀剣・能装束(のうしょうぞく)・調度品などを展示する。赤一色でそろえた「井伊の赤備え」の甲冑もここで見られる。 【ひこにゃん】井伊直孝を寺の門前で手招きして雷雨から救ったという招き猫の伝説と、井伊家の赤備えの兜を合わせて生まれたキャラクター。平成18年(2006年)4月13日生まれで、いまも毎日、城の周辺に姿を見せている。登場時間はひこにゃんの公式サイトで確認できる。 【訪ねかた】券売所は何か所かあるが、JR彦根駅から歩くと表門がいちばん近い。天守までは石段と坂が続くので、歩きやすい靴で行きたい。桜は4月上旬、玄宮園の紅葉ライトアップは11月中旬から下旬が見ごろ。天守だけなら1時間ほど、玄宮園と博物館まで回るなら半日を見ておくとゆっくりできる。
年中行事・お祭り
【彦根城桜まつり】例年4月上旬 城内におよそ1,200本の桜が咲きそろう。満開はおおむね4月8日ごろで、夜の花見でにぎわう。 【玄宮園で虫の音を聞く会】例年9月から10月 夜の玄宮園をライトアップし、虫の声を聞きながら庭を歩く催し。 【ひこねの城まつりパレード】例年11月3日 子ども大名行列、子ども時代風俗行列、彦根町火消し列、井伊の赤鬼家臣団列など、総勢数百人の時代行列が城下を練り歩く。彦根町火消し隊のはしご乗りも披露される。雨天の場合は中止。 【錦秋の玄宮園ライトアップ】例年11月中旬から下旬 夜の玄宮園を特別に公開し、紅葉を照らし出す。18時から21時まで(最終入場20時30分)。彦根城の観覧料とは別に料金がかかる。 開催日・開催有無・時間は変更される場合があります。お出かけ前に必ず公式サイトでご確認ください。

※ 開催日・開催有無は必ず公式サイトでご確認ください。

作品ゆかり
東映京都撮影所などから近いこともあり、時代劇のロケ地としてたびたび使われてきた。映画「赤穂城断絶」(1978年)では天秤櫓と廊下橋が赤穂城の正門、太鼓門櫓が江戸城として撮影され、「梟の城」(1999年)では佐和口多聞櫓と堀が使われた。姫路城が江戸城の代わりを務めることが多いのに対し、彦根城は名もない小さな城という設定で撮られることが多いという。
学び・特徴
社格
国宝「彦根城天守、附櫓及び多聞櫓」(昭和27年3月29日指定)。重要文化財は天秤櫓、太鼓門及び続櫓、西の丸三重櫓及び続櫓、二の丸佐和口多聞櫓、馬屋の5件(天秤櫓ほか4件は昭和26年9月22日、馬屋は昭和38年7月1日指定)。城跡全体が国の特別史跡「彦根城跡」(昭和31年7月19日指定、平成28年3月1日追加指定)。庭園は国の名勝「玄宮楽々園」(昭和26年6月9日指定)。日本100名城の第50番。平成4年(1992年)に世界遺産の暫定リストに記載され、令和8年(2026年)9月3日に世界文化遺産の国内推薦候補に決定した。
創建
慶長9年(1604年)7月1日に工事が始まり、元和8年(1622年)に完成したと伝わる。築城主は井伊直継。天守は慶長11年(1606年)の建築とされる。廃城は明治7年(1874年)。
テーマ
日本100名城国宝庭園桜
基本情報
住所
滋賀県彦根市金亀町1-1
見学時間
8時30分から17時まで(入場は16時30分まで)。年中無休。観覧料は彦根城(玄宮園を含む)が一般1,000円、小中学生300円。彦根城博物館は一般700円、小中学生350円で、城と博物館のセット券は一般1,500円、小中学生550円。玄宮園だけの入園は一般400円、小中学生150円。30名以上の団体は割引があります。公式の入城記念符(御城印)は、表門橋のすぐそばにある開国記念館で授与されています(8時30分から16時30分まで)。日本100名城のスタンプも同じ開国記念館に置かれています。

⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。

アクセス
JR琵琶湖線・彦根駅の西口から徒歩約15分。駅から歩くと表門の券売所がいちばん近い。車の場合は名神高速道路の彦根インターチェンジが最寄りで、城の周囲に観光駐車場がある(乗用車は1日1,000円)。
記念メダル

スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。

見学記録

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