この城について
愛知県犬山市、木曽川(きそがわ)のほとりにそびえる城で、別名「白帝城(はくていじょう)」。天守は現存する日本最古の様式を残すとされ、国宝に指定されています。天文6年(1537)に織田信長の叔父・織田信康が築き、江戸時代は尾張藩の付家老(つけがろう)・成瀬家が代々城主を務めました。明治28年(1895)から平成16年(2004)までの109年間は、日本で唯一「個人が所有する国宝の城」としても知られていました。
歴史・由来
この城を理解する鍵は、木曽川という天然の要害の上に建てられた戦国の城でありながら、江戸時代を通じてただ一つの家系が守り抜いた城でもある、という二つの顔です。
天文6年(1537)、尾張の戦国大名・織田信長の叔父にあたる織田信康(おだのぶやす)が、木曽川に面した断崖の上にこの城を築きました。信康の跡を継いだ子の織田信清(おだのぶきよ)は永禄7年(1564)に信長方の攻撃で城を追われ、以後は池田恒興(いけだつねおき、信長の乳兄弟)、豊臣方の石川光吉(いしかわみつよし)、関ヶ原の戦いののちは徳川方の小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)、尾張藩主・徳川義直の付家老である平岩親吉(ひらいわちかよし)と、城主が目まぐるしく入れ替わりました。
元和3年(1617)、二代将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)から成瀬正成(なるせまさなり)が城を拝領すると、以後は成瀬家が9代にわたって明治維新までこの城を治め続けました。
明治になると廃城令で城は愛知県のものとなりましたが、明治24年(1891)の濃尾地震(のうびじしん)で天守の付櫓(つけやぐら)が壊れ、県は修復の費用を出せませんでした。そこで明治28年(1895)、修復と維持を条件に、旧藩主だった成瀬家へ無償で譲り渡されます。これ以降、平成16年(2004)に財団法人(現在は公益財団法人)犬山城白帝文庫へ移管されるまでの109年間、犬山城は日本でただ一つ、個人が所有する国宝の城であり続けました。
見どころ・特徴
【現存最古の天守】外観三重、内部四階・地下二階の望楼型(ぼうろうがた)天守で、国宝に指定されている天守の中でも最も古い様式を残すといわれています。
【廻縁(まわりえん)からの眺め】最上階の外側にめぐらされた廻縁に出ることができ、木曽川や濃尾平野(のうびへいや)を360度見渡せます。現存する天守で廻縁に出られるものはわずかです。
【木曽川沿いの断崖】城は木曽川に面した高さ約88メートルの丘の上に築かれており、江戸時代の学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)は中国の名勝になぞらえてこの城を「白帝城」と呼びました。
【御城印】天守前の観光案内所(犬山市犬山北古券12-17)で、「犬山城」と「白帝城」の2種類の御城印を1枚300円で授与しています。御城印帳は別途、通信販売でも購入できます。
学び・特徴
社格
天守が昭和27年(1952)3月29日に国宝指定されました。現存12天守のひとつであり、天守が国宝に指定されている5つの城(姫路城・松本城・彦根城・松江城・犬山城)のひとつでもあります。日本100名城の43番に選ばれています。
創建
天文6年(1537)、織田信長の叔父・織田信康(おだのぶやす)による築城と伝わります。
テーマ
国宝現存12天守
基本情報
住所
愛知県犬山市犬山北古券65-2
見学時間
9時から17時まで(入場は16時30分まで)。12月29日から12月31日までは休館します。
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
名鉄犬山線「犬山」駅から徒歩約17分です。城下町の入り口までは同駅から徒歩約10分です。城の周辺には市営の第一駐車場(140台)・第二駐車場(123台)・第三駐車場(150台)があります。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
見学記録
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