この寺について
真言宗智山派の寺院で、山号は須賀山(すがざん)、院号は正智院(しょうちいん)。四国八十八ヶ所霊場の第53番札所である。寺の伝えでは、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)で行基(ぎょうき)が開いた。遍路の歴史を伝える慶安3年(1650)銘の銅の納札(のうさつ)や、隠れキリシタンの信仰にかかわるとされる灯籠(とうろう)が残る。
歴史・由来
この寺を理解する鍵は、移転と再建をくり返しながら、遍路の歴史を伝える品々を守ってきたことにある。
寺の伝えによると、天平勝宝元年(749)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)で、行基(ぎょうき)が阿弥陀如来像などを刻んで安置したのがはじまりという。当時は、今の場所ではなく、和気浜(わけはま)の西山の海岸にあり、「海岸山圓明密寺」と呼ばれていた。のちに弘法大師・空海が、荒れたお堂を整えたと伝わる。
中世には兵火などで衰えたが、江戸時代はじめの元和(げんな)年間(1615〜1624)、地元の豪族・須賀重久(すがしげひさ)が現在の場所へ移した。寛永13年(1636)には、京都の仁和寺(にんなじ)の直末(じきまつ)寺として再建され、現在の寺号になったとされる。
この寺が遍路の歴史で知られるのは、慶安3年(1650)の年号が入った銅板の納札が残るからだ。納札とは、遍路が札所に納める札のことで、この札は「遍路」の文字が記された最古の納札とされる。本堂の厨子(ずし)に打ち付けられていたのを、アメリカの学者スタール博士が遍路の途中で見つけた。現在は松山市の民俗文化財に指定されている。
令和7年(2025)には、境内を国の史跡「伊予遍路道」に追加指定することが、国の審議会から答申(とうしん)された。
見どころ・特徴
【遍路の歴史を伝える銅の納札】
慶安3年(1650)の年号が入った銅板の納札。
「遍路」の文字が記された最古の納札とされ、松山市の民俗文化財に指定されている。
【隠れキリシタンの灯籠】
大師堂のわきに、十字架の形をした高さ約40センチの灯籠がある。
マリア観音とみられる像が刻まれ、隠れキリシタンの信仰に使われたとされる。
【左甚五郎作と伝わる龍】
本堂の鴨居(かもい)に、龍の彫り物がある。
名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と伝わる。
【県指定文化財の八脚門と厨子】
仁王門の八脚門(はっきゃくもん)と、本堂の厨子(ずし)は、愛媛県指定の有形文化財。
厨子は室町時代につくられたものとされる。
学び・特徴
本尊
阿弥陀如来
宗派・寺格
真言宗智山派。四国八十八ヶ所霊場第53番札所。山号は須賀山(すがざん)、院号は正智院(しょうちいん)。江戸時代に京都の仁和寺(にんなじ)の直末寺として再建された。
創建
寺伝では、天平勝宝元年(749)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願により、行基(ぎょうき)が開いたとされる。
ご利益
厄除け家内安全
テーマ
四国遍路文化財歴史
この場所を巡る軸
めぐりコース
基本情報
住所
愛媛県松山市和気町1-182
参拝時間
7:00〜17:00
⚠️ 情報が古い場合があります。最新の受付時間は公式サイト等でご確認ください。
アクセス
JR予讃線の伊予和気駅の近くにあり、駅から歩いて行ける距離です。
無料の駐車場があります(普通車10台)。
記念メダル
スポットの近く(200m 以内)で位置情報を有効にしてチェックインすると獲得できます。
参拝記録
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